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Explore every episode of the podcast 吉本隆明の183講演

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【A024】政治と文学について15 Aug 201500:45:18
【A024】政治と文学について 時間:45分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1971年5月8日 主催:三田文学 場所:慶應義塾大学 三田校舎 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 文芸誌「三田文学」の主催。 録音者の話し声や 周辺のノイズが入り、 音質はあまりよくない。 講演より 去年の暮れ、三島由紀夫さんが、政治と文学について、 非常にショッキングなあり方を提供してくれました。 「芸術家が実行家に拮抗しうるとすれば、 死を描写するだけでなくて 自分が死んで見せなくちゃだめじゃないか」 というのが三島由紀夫さんの考え方のように思われます。 三島さんは自らその考えを実行されたわけですから、 そこのところで何もいいたくない気持ちですが、 考え方としては たいへん古い考え方というほかないと思います。 そして三島さんは、文学芸術の創造ということと、 それが書物として流布される過程とを、 うまく区別できていなかったのではないでしょうか。 創造の行為と、それが書物となって流布されることとは、 違うということを、本当の意味ではあまり 考えられなかったと思われるのです。 そのことは、ただ実感的に知っているだけでなく、 想像力を突き詰めていかなければならないことが あるように思うんです。
【A147】新・書物の解体学15 Aug 201502:16:27
【A147】新・書物の解体学 時間:136分(うち質疑応答16分) 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1992年11月24日 主催:前橋市・煥乎堂 場所:前橋テルサ 8F けやきの間 収載書誌:未発表 音源について 「マリ・クレール」に連載された 書評集成である 『新・書物の解体学』が 同年8月に刊行されたことに際して 行われた講演。 テープ交換以降は 声が曇り聞きとりづらい。 講演より 〈健康な文学〉と〈健康でない文学〉ということで いまの文学を分けてしまったら、 いったいどういうことになるかというと、 本当の健康な文学というのも、 本当に病的な文学というのも、 両方とも描かれていないというのが 現状ではないかと思います。 やかましい書評をしてみれば、 そういうことになってしまうのではないかと思います。 「本を読むこと」は、必ずしも すぐれた作品にぶつかることであるとも限らないのです。 しかし、そのなかから何か搾り取ることが、 本の読み方で、さしあたっていちばんいい 読み方なのだとすれば、 見かけ上の健康さと不健康さの後ろに真実らしさとか、 真実の甘美さというものを見つけることが、 読むほうとしても大切なことなのではないかと 思えてなりません。 そこらへんのところまで行けたら、 さしあたって本の読み方としては いい読み方ということができるのではないかと思います。
【A015】実朝論15 Aug 201504:59:05
【A015】実朝論 時間:299分 音質:5 ジャンル:文学 講演日:1969年6月5日/12日 主催:筑摩書房 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 2日間に分けて開催されたため、 途中で音質が異なっている。 音源は主催者提供。 吉本隆明はこの講演の2年後に 『源実朝』を刊行している。 講演より 文学にとって重要なことは、 どういう死に方をするかということだと思います。 なぜ文学にとって死に方が重要かといいますと、 死に方は、偶然には依存しないわけです。 ほとんど全面的に、作家あるいは詩人の思想、 資質そのものに依存するからです。 死に方が本質的でないと、 文学としてよみがえることができない、ということが いえると思います。 実朝という詩人は、中世では誰もが 西行と実朝というふうに数えざるをえない、 最大の詩人のひとりです。 実朝は鎌倉幕府の創始者であった源頼朝の次男で、 12世紀末から13世紀の初めにかけて生きた人ですが、 28歳で暗殺されています。 実朝が、本質的に生きたかどうかは、 そう簡単には決められませんが、 本質的に死にえた詩人だということは確かです。
【A155】中上健次私論15 Aug 201501:00:46
【A155】中上健次私論 時間:60分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1993年6月5日 主催:昭和文学会 場所:国学院大学常磐松2号館2階中講堂 収載書誌:未発表 音源について 昭和文学会の春季大会として 行なわれた講演。 当日は吉本隆明のほか 日高昭二氏らによる講演があった。 客席録音のためノイズが入るが 比較的クリアに収録されている。 講演より 〈都会に出た熊野人〉、 〈熊野という場所で育った熊野の子どもたち〉 というふたつの問題が、 中上さんの文学のふたつの足だと思います。 都会に出てきたアジア的田舎の人といえば、 ごくふつうになってしまいますが、 中上さんの作品のおもしろいところは、 都会に出てきたアジア以前の人、 つまりアフリカ的段階の人ということです。 それが中上さんの文学のひとつの特色です。 もうひとつの特色は、アフリカ的段階の自然、 つまり自然にまみれている自然人の子どもたちの特色を、 中上さんが非常によく描写していることです。 これが中上文学のふたつの足である、と思います。 この講演のテキストを読む
【A064】文学の新しさ15 Aug 201502:00:47
【A064】文学の新しさ 時間:120分(うち質疑応答25分) 音質:5 ジャンル:文学 講演日時:1982年1月21日 主催:京都精華大学 学生部 場所:京都精華大学 収載書誌:未発表 音源について 京都精華大学大教室で行われた。 一般の人にも開放され、 他大学の学生の参加も多かった。 音源は主催者提供。 講演最後が欠けているため、 客席から録音したもので補っており、 この部分は聞き取りづらい。 質疑応答は冒頭と最後が欠けている。 講演より 現在の文学や芸術、芸能では、 実際の現実的な価値、物質的な価値に対して、 イメージの価値が大なり小なり付加されていて、 その全体を指してある価値様式を考えているというのが、 われわれがおかれている環境です。 このイメージの世界が大規模になると考えると、 誰にとっても管理されている時間帯は 増えていくだろうということが、 現在の「新しさ」の根底にある問題だと思います。 その問題をどう考えるかが、 現在の文学の根底にある問題だと思います。 この講演のテキストを読む
【A142】現代文学のゆくえ15 Aug 201501:27:44
【A142】現代文学のゆくえ 時間:88分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1992年10月5日 主催:東急文化村/ドゥマゴ文学賞事務局 場所:渋谷・シアターコクーン 収載書誌:未発表 音源について 吉本隆明が選者をつとめた 「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」 の記念講演。 この年受賞作に選んだのは 三田英彬氏による 『芸術とは無慚なもの― 評伝・鶴岡政男』 で、吉本の講演の後には 三田氏による講演があった。 音源は主催者提供。 講演より 現在、高度な先進的社会で流行っている イメージのつくり方が文学のなかにあります。 「自分の姿が自分で客観的に見えてしまって、 やっている行為自体がぜんぶしらけてしまう」 という描かれ方です。この問題は、引き延ばしてみると 現在の先進的な社会が当面している問題の大きな部分と 共通のところを占めていると思います。 先進的な社会のひとつである日本でアンケートをとると、 89%の人は「自分は中流の生活をしている」という 結果が出てきます。 これはある意味で不気味な数字だし、 たいへんなものだと思います。 世界の先進的な社会で、9割9分の人が 「自分は中流の生活をしている」 という社会がやってくることは、 わりあいに近未来だといったほうがいいような気がします。 それはたいへんな社会です。 どこかでカタストロフィ、破局をつくらないと 文学にはならないでしょう。 「しらけ方」も、破局をもたらすような 描き方を必要とすることになりそうな感じがします。 この講演のテキストを読む
【A069】共同幻想とジェンダー15 Aug 201502:43:56
【A069】共同幻想とジェンダー 時間:163分 音質:★★ ジャンル:思想 講演日時:1983年2月12日 主催:フォーラム・人類の希望/新評論 場所:四谷公会堂 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 音源について 「いま、性と労働を問う」 のシンポジウムでの講演。 山本哲士氏の講演を受けはじまる。 講演後には吉本隆明、 山本哲士氏、河野信子氏による パネルディスカッションを収録。 テープチェンジのため音が欠ける。 音質はあまりよくない。 講演より 19世紀以降、資本主義社会の興隆期に入ってから、 なぜ男女の特性が生産労働過程で無視できると 考えられたのでしょうか。 マルクスの考え方は、労働時間の問題が重要なので、 どういう生産物をつくったか、 どういう質の労働を加えたかという差異は、 あったとしても大したことではないというものです。 イリイチの考え方からいうと、 こんな状態を許しておいたからこそ、 男女の賃金格差は拡がり、 女性は影の仕事に追い込まれるという事態が 生じてしまったことになります。 資本主義の一種の停滞成長期である現在、 どうして改めて生産労働過程における性という問題が とりあげられなければならないのか──それが イバン・イリイチという思想家の 根本的な問題意識だと思います。
【A039】枕詞の空間15 Aug 201501:54:45
【A039】枕詞の空間 時間:114分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1977年7月6日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 音源について 詩誌「無限」を発行していた 株式会社無限主催 「無限アカデミー・現代詩講座」 での講演。 ライン録音されたものではないが クリアに収録されている。 講演より 宮沢賢治に「林と思想」という詩があります。 この詩の根源的情緒は、昔の人のいい方でいえば、 霧をいう場合に「ほのゆける霧」、あるいは 「いさらなみ霧」と表現されたものだと思います。 大昔においては、現在では意味がつかめない言葉を、 枕詞として上につける習慣が詩に限ってあったのです。 この「いさらなみ霧」の情緒と、 宮沢賢治の詩の情緒というのはまったく同じです。 ただ古代人たちが自明の理として考えた 眼に見えないポエジーの空間──ふたつの言葉を 並べることによってそのあいだに 想定したポエジーの空間──だけを再現し、 再現の結果としての「ほのゆける霧」あるいは 「いさらなみ霧」という表現を拒否しているのが 現代の詩だとみなしますと、 現代詩に対するひとつの一貫した考えに なるのではないかと思います。
【A165】顔の文学15 Aug 201501:56:58
【A165】顔の文学 時間:117分 音質:3 講演日時:1994年11月24日 主催:本郷青色申告会 場所:本郷青色申告会館 収載書誌:未発表 音源について 音源は主催者から提供。 講演冒頭が欠けており、 客席録音だが比較的クリア。 講演より 人間の声というのは、 音で識別する顔の表情だということができます。 本当の顔の表情は目で見て識別するわけですけれど、 人間の声というのもやはりひとつの顔の表情なのです。 その場合の顔というのは比喩ですが、 声というのは音で識別する顔の表情だと いうこともできるわけです。 顔という言葉をそういう使い方をすると、 もっと極端な使い方ができます。 たとえば「おれの顔を立ててくれ」というでしょう。 文学と関係が深いのは、主として比喩としての顔、 あるいは顔の表情です。 日本の古典文学というのは、 「もののあはれ」を主題にした物語か、 そうでなければ「顔を立てる」物語かの ふたつに大別することができます。 いかに顔を立てるか、立てないかという問題、 つまり「顔の文学」というものは、 「もののあはれ」の文学と同じように民族の深層、 無意識の奥深くまで届いている問題なのです。 この講演のテキストを読む
【A068】〈若い現代詩〉について15 Aug 201502:10:56
【A068】〈若い現代詩〉について 時間:130分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1982年12月8日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 音源について 詩誌「無限」を発行していた 株式会社無限が主催。 本講演の3か月ほど前に行われた 講演「若い現代詩」を 引き継ぐものとなっている。 録音者の手元でのノイズが入る。 講演より 街頭で瞬間的に飛び交っていく言葉には、 話し言葉という意味あいと、もうひとつ 「発声状態の言葉」という意味あいがあるような 気がします。 取り交わされた瞬間にとらえられた 「発声状態の言葉」という意味あいで、 街頭で飛び交う言葉を瞬間的にとらえることができれば、 それはそうとうラディカルな言葉になるのではないかと 思います。 このラディカルな状態の言葉をとらえるということは、 現在の詩が当面している とても大きな問題のように思えます。 そのことは、街頭で取り交わされている言葉を、 高度な詩にまで適用できる通路ができてきたということの 証拠なのではないかという気がします。 この講演のテキストを読む
【A029】親鸞について15 Aug 201501:37:25
【A029】親鸞について 時間:97分 音質:2 ジャンル:宗教 講演日時:1972年11月12日 主催:大谷大学 学園祭実行委員会 場所:大谷大学 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年) 音源について 冒頭部分が欠けており、 前半はテープノイズがひどく、 たいへん聞き取りづらい。 質疑応答は、途中 二度欠落している個所がある。 講演より 親鸞は、「絶対他力」の思想を根底におく、 日本ではたいへん珍しいタイプの思想家だと思います。 僕は、家が浄土真宗だということを除いては、 宗教もイデオロギーも信じていないし、 「自立」ということばかりいうまことに不肖の者ですが、 若いときから親鸞は好きで、 まったく反対なことをいっているとは ちっとも感じられないところがあります。 それはおそらく、親鸞の自己解体の過程が、 「絶対他力が同時に絶対自力というものを包括する」 というところを指し示しているからではないかと 考えられるんです。
【A037】情況の根源から15 Aug 201501:28:52
【A037】情況の根源から 時間:88分 音質:5 ジャンル:情況 講演日時:1976年6月18日 主催:三上治 場所:品川公会堂 収載書誌:三上治「乾坤」創刊号(1976年) 音源について 三上治氏が主催した集会での講演。 クリアに収録されているが テープ欠落のため途中まで収録。 講演より 私たちが当面している情況を考えてみますと、 ひとりの人間としても、職場の組織のなかにおいても、 政治運動のなかにおいても、 当事者にとっては重要で切実な事柄が、 当事者以外の者にとっては切実でもないし 何でもないと思えるという分裂が とても極端だということが、あげられると思います。 この問題は夫婦的な規模で申し上げることも、 国家的な規模で申しあげることもできます。 なぜこういう問題に当面しているのかというと、 古典的な政治・国家像、社会像が崩壊しつつあることが 考えられます。経済的・社会的権力が国家的に組織され、 政治的国家権力自体に対しても、大衆に対しても、 大きな力を及ぼすように変貌しつつあるということは 情況的でもあり、かつ本質的な問題ではないかと 僕には思われます。 この講演のテキストを読む
【A067】個の想像力と世界への架橋15 Aug 201501:23:03
【A067】個の想像力と世界への架橋 時間:83分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1982年11月13日 主催:現代短歌シンポジウム実行委員会 場所:千代田区一ツ橋・一橋講堂 収載書誌:雁書館『’82現代短歌シンポジウムin東京・全記録』(1983年) 音源について 「’82現代短歌シンポジウムin東京」 として2日間にわたり開催された シンポジウム幕開けの講演。 冒頭、佐々木幸綱氏による 開会の挨拶が収録されている。 録音者の手元ノイズが入っている。 講演より 高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』という 作品が問題にしていることは、 現在の詩歌が当面している問題そのものであるといえます。 この作品では、ラディカルな詩の概念というものが、 伝統的な言葉の様式からは出てこないで、 何もかもむなしくされてしまい、 現在の原初的な刺激を 無意識の底から受け入れたときに生まれる言葉から 出てくるかもしれないという考え方が 成り立っているのです。 現在、詩的な表出のすべてが 直面している物語性の解体というところで、 短歌の領域でも同じような問題が 本格的に出てきているんじゃないかと 思われてならないのです。 この講演のテキストを読む
【A173】文学の戦後と現在──三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで15 Aug 201503:18:49
【A173】文学の戦後と現在──三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで 時間:198分 音質:5 ジャンル:文学 講演日:1995年7月24日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:朝日出版社『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996年) 音源について 恒例で参加していた 「近代文学館・夏の文学教室」 での講演。この年のテーマは 「戦後50年の文学」。客席は満席。 音源は主催者提供。聞き取りやすい。 講演より 文学作品はいつもある時代の作品です。 『源氏物語』は別な面から見ると ものすごいジャーナリズム小説なんです。 当時の誰それが失恋して失踪したとか、 そういう風俗的な事件がとてもよく入っているんです。 いま読むとその面が沈んで 僕らもよくわからなくなっているけど、 よくよく見れば当時あった人が騒いだ事件は ことごとく作品のなかにおさめられています。 そのように、ある作品が長生きするかどうかということは 偶然性にもよりますが、いずれにせよ時代の風俗性と、 永続性みたいなものが両方ないと、 長生きはしないということがいえそうな気がします。
【A017】言葉の根源について15 Aug 201501:29:25
【A017】言葉の根源について 時間:89分 音質:3 ジャンル:思想 講演日時:1970年5月 主催:桐朋学園 場所:桐朋学園 収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年) 音源について 桐朋学園土曜講座での講演。 客席から録音されたものだが クリアに収録されている。 途中で声が遠くなるのは 吉本隆明が黒板を使用するため。 講演より 沈黙というと「ぼんやりしている状態」と 思われがちですが、沈黙も言語表現なのです。 ある人が何もしゃべっていなくても、 その人の意識の内部には何かがある、ということです。 黙っていても、その人の 主観的あるいは意識的な状態がわかるとか、 表現されているとか、感じる場合があるでしょう。 それは、沈黙の言語が、内的意識の時間性、空間性に 解体して存在しているからなのです。 外からは憶測するよりしかたがないのですが、 まったく無意味なのではなく、 その人の主観や意識の内部はたいへん満たされていて、 何かしゃべられているのかもしれない、 というようなしゃべり方がありうるわけです。
【A111】荒地派について15 Aug 201501:13:33
【A111】荒地派について 時間:73分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1988年8月3日 主催:関東学院大学文学部/関東ポエトリ・センター 場所:関東学院大学葉山セミナーハウス 収載書誌:未発表 音源について 主催者から提供を受けた VHSテープから 音声データを抜き出した。 クリアに収録されているが、 冒頭の司会と前半部に ノイズと残響音がある。 講演より 三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でも、 半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、 そこから意識の持続がある限り詩は成り立って、 持続が終わったときは詩が終わる。 そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、 荒地派の詩人たちが日本の詩のなかにもたらした 方法というのは、 「推敲可能な詩が書ける」ということです。 流れを止めて考え込む、 立ち止まって自分が書いた詩の一行を 自分でじっと検討してみる──そういう詩の書き方が 可能だということをはじめて教えてくれたのが、 荒地派の詩だと思います。 この講演のテキストを読む
【A051】〈アジア的〉ということ15 Aug 201502:13:16
【A051】〈アジア的〉ということ 時間:133分 音質:5 ジャンル:思想 講演日:1979年7月15日 主催:北九州市小倉・金榮堂 場所:北九州市小倉・毎日会館ホール 収載書誌:弓立社『document 吉本隆明 1号』(2002年) 音源について 北九州小倉にある書店、金榮堂の 創立65周年記念として行われた。 暑いなか450名がかけつけた。 音源は主催者提供。かなりクリア。 講演より アジア的地域では、極端にいいますと、 村落共同体が世界の広さであり、 地球が世界の広さではないのです。 自分の利害の関係のないところで どんなことが行われようと、 自分のところに響いてこなければ関係ないよという 考え方は、みなさんのなかにもあるでしょう。 アジア人はぜんぶ思い当たるはずです。 それは一見すると、超近代的なかたちで 若い人たちのあいだでも 出てくるかもしれませんけれども、 それには二重性がある、 それは〈アジア的〉心性かもしれないと 疑ったほうがいいと思います。 個々の人間の意識の働かせ方のなかに、 やはり〈アジア的〉な村落共同体的な要素は残っています。 それはどのようにしたらいいほうに働くのか、 どうしたらよくないように働くのか、 どうしたら自然に亡びてしまうものなのか。 それを考えることが僕らに課せられているのです。
【A026】自己とは何か──キルケゴールに関連して15 Aug 201501:53:12
【A026】自己とは何か──キルケゴールに関連して 時間:113分 音質:2 ジャンル:思想 講演日時:1971年5月30日 主催:大学セミナーハウス 場所:新宿・紀伊国屋ホール 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 第38回大学共同セミナーで講演。 テープ劣化のためノイズが多く、 音質はよくない。 講演より 結婚して子どもを生み、そして子どもに背かれ、 老いてくたばって死ぬ、そういう生活者を もしも想定できるならば、 そういう生活のしかたをして生涯を終える者が、 いちばん価値がある存在なんだ──人間存在の 価値観の規準はそこにおくことができると、 僕は考えました。 だから、もっとも価値ある生き方とは何かと問われたとき、 日々繰り返される生活の問題以外には あまり関心を持たないで、生まれて老いて死ぬという 生き方がもっとも価値ある生き方だ、 というほかはありません。 どんな人間でも、大なり小なりその規準からの逸脱として、 食い違いとして、生きていくわけですが、 キルケゴールなんかには ぜんぜん関心がないという生き方は、 もっとも価値ある生き方だということができます。
【A168】「知」の流通──「試行」刊行から34年……現在15 Aug 201502:00:59
【A168】「知」の流通──「試行」刊行から34年……現在 時間:121分(うち質疑応答26分) 音質:3 講演日時:1995年2月10日 主催:地方・小出版流通センター 場所:幕張プリンスホテル 収載書誌:未発表 音源について 地方・小出版流通センター 20周年記念イベントの講演。 やや音声が曇っているが 比較的クリアに収録されている。 講演より 流通のやり方を決めていく決め手というのはもちろん 上のほうから決まっていくのが常道ですが、 消費資本主義、現在の高度な資本主義が突入した段階から いいますと、逆が成り立つということです。 つまり「価格破壊」が成り立つのであって、 それは別の言葉でいえば、 「消費者第一主義」ということを意味します。 消費資本主義の段階で誰が価格を決めるのかというと、 消費者が決めるわけです。 それにいちばん近いかたち、いちばん便利で安いかたちで 提供を受ける権力というのはどこなんだとか、 やり方はあるのかというのは、 僕が「試行」という雑誌をはじめてから 一生懸命考えてきたことです。 その原則、原理だけはいまでも通用すると思いますし、 いまのほうがある意味ではかえって 通用する段階になっているのかもしれません。 この講演のテキストを読む
【A110】普遍映像論15 Aug 201501:44:55
【A110】普遍映像論 時間:104分 音質:3 ジャンル:思想 講演日時:1988年6月3日 主催:京都精華大学 学生部 場所:京都精華大学 収載書誌:未発表 音源について 京都精華大学大教室。 一般の人にも開放され、 他大学の学生の参加も多かった。 音源は主催者から提供だが ライン録音ではない。 講演より 言葉の表現者であり、 同時に死の経験者である──そのふたつのことを 兼ねている文学者がいます。 日本では島尾敏雄という作家です。 もうひとりは、ドストエフスキーです。 この人たちの体験と表現のなかには、 死の体験のイメージと、 死の体験から生きて帰ってきたイメージと、 文学作品としての言葉の芸術が 一身に兼ねられているのです。 そのなかのイメージの構造と作品の構造との関わりあいを 取り出すことができるならば、 いっぺんに解けてしまう問題があるわけです。 この講演のテキストを読む
【A023】詩的喩の起源について15 Aug 201500:45:30
【A023】詩的喩の起源について 時間:45分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1971年5月2日 主催:日本現代詩人会 場所:新宿・紀伊国屋ホール 収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年) 音源について ところどころに録音者の手元で ノイズが入る個所が クリアに収録されている。 講演より 日本の詩が発生の起源に近いところで 保存しているものから、 詩的な喩の起源として考えられることは、 一篇の詩形式のすべてを使って 主観的な感情をあらわすというふうには 詩の表現は可能ではなかった、ということです。 日本では、詩の問題は 「詩のなかに意味を込める」ことには なかったんじゃないか、ということです。 一般的に風景の描写とか 日本的な自然美といわれていることは、 本当はまったくの錯覚であって、 詩の起源に近いところで 「景物」が表現にあらわれている場合、 その「景物」は決して写実的な意味での 「景物」あるいは「自然」ということを意味せず、 むしろ宗教的あるいは自然信仰の段階において 個人の観念でなく 共同体の観念が象徴的に寄り集まるところとして 「自然」というものが詩の表現のなかに存在していた、 ということが考えられるのです。
【A094】時代はどう変わろうとしているのか15 Aug 201501:33:42
【A094】時代はどう変わろうとしているのか 時間:93分 音質:2 ジャンル:思想 講演日時:1986年7月12日 主催:群馬県庁労働組合 場所:群馬会館ホール 収載書誌:未発表 音源について 録音者の手元のノイズが 入っており 音質はあまりよくない。 講演より 時計は「時を計る」という目的のためにありますが、 現在、1000円か1500円出せば ひと月に何十秒の狂いしかないデジタル時計を たやすく手に入れることができます。 「時を計る」という機能でいえば、 これ以上のものはいらないわけです。 これは、究極時計というものが できてしまっているということだと僕は思います。 現在のいくつかの兆候をよく考えてみると、 「これはほとんど究極に近いんじゃないか」 というような商品とか分野とか発達度というものが ポツポツと存在することがわかります。 これはとても重要なことだと僕には思われます。 もし機会がありましたら、 「このことは究極までいっているのかな」とか 「こうやったら究極になるんじゃないか」ということを、 ぜひ考えてご覧になるとよろしいと思います。 この講演のテキストを読む
【A047】芥川・堀・立原の話15 Aug 201502:00:39
【A047】芥川・堀・立原の話 時間:120分(うち質疑応答29分) 音質:5 ジャンル:文学 講演日時:1978年10月19日 主催:京都精華短期大学 学生部 場所:京都精華短期大学 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 音源について 京都精華短期大学大教室。 一般の人にも開放され、 他大学の学生の参加も多かった。 音源は主催者提供。 たいへんクリアに収録されている。 講演より 芥川龍之介、堀辰雄、立原道造は、いずれも 大正から昭和にかけての東京の下町出身の文学者、 詩人です。そして、彼らはいずれも貧困な人たちです。 芥川の父親はミドルクラスの下の出身ですし、 堀辰雄の父親は彫金の職人です。 立原道造は立川屋という商家の出身です。 彼らの文学を、仮に〈弱さ〉ということで 括ってみたいと思います。 〈弱さ〉ということは 身体的な〈弱さ〉と精神的な〈弱さ〉の両方があります。 ふつうの意味の〈弱さ〉とニュアンスが違って、 〈弱さ〉の逆に強さみたいなもの、 しなやかさのようなものも考えられる 〈弱さ〉だと思います。 彼らには、ひとつ共通な〈弱さ〉の美の象徴があります。 それは〈匂い〉ということです。 〈匂い〉の感性が過敏で特異だというのが、 芥川龍之介、堀辰雄、それから立原道造の 作品に共通した要素です。 彼らが本質的に執着している〈匂い〉に対する敏感さに、 それぞれの感性の資質があります。
【A063】物語の現象論15 Aug 201501:40:00
【A063】物語の現象論 時間:99分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1981年11月21日 主催:早稲田大学文学部 文芸専攻 場所:早稲田大学文学部 453教室 収載書誌:未発表 音源について 早稲田大学文学部・文芸専攻によって 課外講演会として行われた講演。 たいへんクリアに収録されているが、 質疑応答の途中でテープが切れる。 講演より 現在、イメージの生活世界が膨大になってきています。 私たちは、実質的な生活世界からイメージの世界へ行き、 またそこから降りてきて眠るということを 絶えずやらなくてはいけなくなっています。 どうしてもそこを通過していかなくてはいけない 必然の通路みたいに、イメージの世界は存在しています。 そういう世界を膨らませているのが、 物質的な価値にイメージの価値をつけ加えたい、 イメージの価値で競争したいという衝動であることは 非常に明瞭です。 文学作品が、価値のある世界を実現したいと考えるならば、 「イメージの世界の厚みをくぐり抜けてその果てに出る」 ということがどうしても必須条件になります。 それが、文学にとっての本質的な衝動です。 どうやってそれが実現可能なのかということが、 批評にとっても創造にとっても 最後に出てくる問題だと思います。
【A019】「擬制の終焉」以後十年──政治思想の所在をめぐって15 Aug 201500:34:26
【A019】「擬制の終焉」以後十年──政治思想の所在をめぐって 時間:34分 音質:2 ジャンル:情況 講演日時:1970年7月17日 主催:共産主義者同盟叛旗派編集委員会 場所:中野公会堂 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 共産主義者同盟叛旗派の主催による 〈首都労学政治集会〉での講演。 吉本隆明の講演の原題は 「若き戦士たちへ」。 ノイズが多く、音質はよくない。 講演より 社会は、日々働き生産し食べていく 経済社会的な過程さえあれば、 永遠の昔から永遠の未来まで続きます。 しかしそのうえにのっかる法的・政治的国家、 あるいはそこから導入される国家権力というのは、 必ずしもそれと対応せず、因果関係になくとも、 あるいは部族、民族を異にしても、 横合いからいきなりやってきてさらってしまうことは いくらでもありうるわけです。 「経済社会構成の変化なしに 上部構造の変化はありえない」とか、 「基幹産業における組織労働者の立ち上がりなしには 政治革命がありえない」という考え方は、 迷信だと思います。
【A008】調和への告発15 Aug 201502:04:38
【A008】調和への告発 時間:123分 音質:3 ジャンル:情況 講演日時:1967年11月1日 主催:明治大学 場所:明治大学 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 音源について 明治大学駿台祭での講演。 原題は「調和への破壊」。 客席から録音されたものだが 比較的クリアに収録されている。 質疑応答は途中で切れている。 講演より 現在、ベトナムには戦争があり、日本には平和がある、 そういう区別の仕方があります。 しかし、ベトナムのなかには戦争もありますけれど、 同時に平和もあるのです。 人間は戦争のさなかでも極めて平和に 恋人とデートすることもできますし、 また一家団欒の食事をすることもできる、 そういうようにしか戦争というものは存在していません。 現実というものはさまざまな次元の場面を許すのです。 逆に、「日本は平和だ」といっても、 ある視点でもって眺めれば、 ちっとも平和ではないわけです。 そこには声をあげずに倒れていく人間もいますし、また、 何の声も発せずに老いさらばえて死んでいく人間もいます。 一見すると無事平穏のごとく見える 日本の国家権力のもとにおける現実のなかに、 さまざまな鋭い裂け目があり、 それをどういうふうにすくい取っていくか、 思想の問題として繰り込んでいくかということのなかに、 情況があると考えております。
【A065】若い現代詩──詩の現在と喩法15 Aug 201500:50:12
【A065】若い現代詩──詩の現在と喩法 時間:50分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1982年9月26日 主催:思潮社 場所:渋谷・西武劇場 収載書誌:思潮社『戦後詩史論』(2005年) 音源について 「思潮社25周年記念・ 詩のカーニバル」として 行なわれたシンポジウムでの講演。 この講演のほか、谷川俊太郎氏、 大岡信氏らによる鼎談あり。 比較的クリアに収録されている。 講演より 現在書かれているさまざまな詩を 〈現在〉ということに集約したらどういう問題がでるか。 現代詩という定義とも、現代詩の歴史とも関係がない 「現代詩」がはたしてありうるのかを考えてみますと、 ありうる可能性が どこかに出てきたんじゃないのかという考え方を 僕は持つようになりました。 そういう道をつけた詩人のひとつに、 「中島みゆきから谷川俊太郎へ」 という鉱脈を考えてみたいんです。 「中島みゆきから谷川俊太郎へ」 という通路を考えることができるということが、 〈若い現代詩〉が直面している大きな特徴のように 思えるんです。 この講演のテキストを読む
【A025】共同体論について15 Aug 201501:17:07
【A025】共同体論について 時間:77分 音質:2 ジャンル:思想 講演日時:1971年5月9日 主催:止揚の会/西荻南教会 場所:文京区民センター 収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年) 音源について 止揚の会と西荻南教会によるイベント 「共同体論ティーチイン」での講演。 周辺のノイズが入っており、 音質はあまりよくない。 講演より 日本の場合、共同体は ふたつに類型づけすることができます。 ひとつは、首長が政治的な権力と同時に 祭祀権を持っている共同体というのが考えられます。 もうひとつは、共同体の首長が祭祀権だけを 持っているタイプです。 その場合、宗教権力を持つのはたいてい女性で、 その肉親の男性が 政治権力を所有しているというかたちです。 日本の古い時代を想定しますと、 そのふたつの形態が複合して存在しています。 根本的に問題にしなくてはならないのは、 政治権力というものと 宗教的権力というものとの移行のしかたということで、 それがいかに共同体の権力構成に影響を及ぼすか、 また経済・社会構成、自然・経済構成に対し どういう影響を与えるか、ということです。
【A151】社会現象としての宗教15 Aug 201501:59:05
【A151】社会現象としての宗教 時間:119分 音質:5 ジャンル:宗教 講演日時:1993年3月13日 主催:川崎市立麻生図書館/麻生選挙管理委員会 場所:川崎市立麻生図書館 収載書誌:未発表 音源について 川崎市立麻生図書館と 麻生選挙管理委員会の 合同講座として行われた。 音源はクリアだが テープチェンジのため欠けがある。 講演より 精神的な存在としての人間は、無限に愚かであると同時に 無限に賢くもなれるというたいへん矛盾の多い存在です。 ひとりの賢い人間がぜんぶ賢いかというと 決してそうではなくて、 ある事柄について賢いということだけであって、 違う事柄については愚かであるかもしれないわけです。 また、ある事柄について愚かである人というのは、 違う事柄においては賢くて、 また能力があるかもしれないというふうに、 人間の存在はできていると思います。 そこのところで、宗教が社会現象として 人々の心に入ってくる根拠があるわけです。 新興宗教の教祖の人たちは、それぞれの自信を持っていて、 自信のもとになる体験も持っている。 賢いところもあり、それが感じられると、 非常にいい宗教だというふうに なっていくのではないかと思います。 この講演のテキストを読む
【A169】ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る──あるいは消費社会のゆくえについて15 Aug 201502:42:16
【A169】ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る──あるいは消費社会のゆくえについて 時間:161分(うち質疑応答11分) 音質:5 ジャンル:思想 講演日時:1995年2月19日 主催:紀伊國屋書店 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:紀伊國屋書店『ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る』(1995年) 音源について 第75回紀伊國屋セミナー 「ジャン・ボードリヤール 来日記念講演会」 での講演と対論。 司会及び通訳をつとめているのは 塚原史氏。 音源は主催者提供。クリアに収録。 講演より ボードリヤールさんは、日本というのを 褒め過ぎではないかと思います。 「日本は起源というのを担保にしていないから、 何でも自在に受け入れていけるし、 自在に展開することもできる、 それは日本の利点じゃないか」 といっておられると思うんです。 僕の考え方は、ボードリヤールさんが見ておられる 日本というのとは逆のことで、 「日本の起源はどう突っついていけば不明でないか」 を課題にしています。 僕らが見ようとしている日本は、アジア的でない、 アフリカ的なんです。 究極的には、ヘーゲル歴史哲学がいう 「アフリカ的段階の日本」というものを はっきりさせたいのです。 それは、日本の消費資本主義社会を 「死」のほうへ向かって明確にしていくことと、 同じ方向だという方法にあたります。
【A066】ポーランド問題とは何か15 Aug 201502:20:07
【A066】ポーランド問題とは何か 時間:140分 音質:3 ジャンル:情況 講演日:1982年11月5日 主催:岩手大学新聞社 場所:岩手大学人文社会科学部4号館41大教室 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 音源について ステージから離れた客席から録音。 「連帯」は社会主義国家ではじめて 自主的に形成された労働組合で、 講演に先立つ10月8日には、 ポーランドの共産党政権によって 非合法化されていた。 講演より 国家が社会に対して100%関与している、 ソ連とかポーランドみたいな社会主義「国」もありますし、 アメリカとかヨーロッパのように、 だいたい40%から50%近くまで 関与するところまでいっている 先進資本主義「国」というのもあります。 日本の場合はどうでしょうか。 正確にはわかりませんが、だいたい30%を 前後するのではないかと思います。 しかし、イメージとしていわせれば、 日本の国家と社会との関係も、 国家の関与率というようなものは、 だいたい40%、つまりアメリカとかヨーロッパとかに 近づいていくだろうと考えられます。
【A171】『神の仕事場』をめぐって15 Aug 201501:16:42
【A171】『神の仕事場』をめぐって 時間:76分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1995年6月14日 主催:砂子屋書房/岡井隆『神の仕事場』を読む会 収載書誌:砂子屋書房『『神の仕事場』を読む』(1996年) 音源について 歌集の刊行を主とする出版社が 主催するシンポジウム 「岡井隆『神の仕事場』を読む会」 での講演。シンポジウムは全体で 4時間半に及ぶもので、 出演者は吉本隆明のほか 辻井喬氏や岡井隆氏自身らがいた。 音源はクリア。 講演より 岡井隆さんが、『神の仕事場』のなかでやっておられる 新しい試みがあります。 短歌を「意味」でつくらないで、 「音」でつくってしまう、ということです。 岡井さんには、 「短歌というものを〈音の言葉〉にするということが、 短歌を構成するために非常に重要なんだ」 という考え方があると思います。 短歌の本質は、どうしたら解けるか 本当はよくわからないんですが、 岡井さんは、1歳未満の乳児の「あわわ言葉」を 意味ある言葉だと受け取れるとしたら、 短歌はどうなるか、という試みをしているように 思うんです。 これは、岡井さんの『神の仕事場』のなかで とても大きな、新しい、現代的な試みだと思います。 この講演のテキストを読む
【A081】古い日本語のむずかしさ15 Aug 201501:03:48
【A081】古い日本語のむずかしさ 時間:63分 音質:5 ジャンル:思想 講演日:1984年12月1日 主催:千駄ヶ谷日本語教育研究所 場所:千駄ヶ谷日本語教育研究所 収載書誌:未発表 音源について 千駄ヶ谷日本語教育研究所主催の 第13回公開講座 「みんなの日本語」での講演。 音源は主催者提供。 クリアに録音されている。 講演より 古い日本語についての理解というのは どこから攻めていっていいかよくわからないんですが、 近世以降の国文学者はどうやってきたかというと、 経験的にたくさんの古典を読みたくさんの方言を聞き、 当てずっぽうでそれらを取りさばいてきたのです。 現在でもほとんど変わらないんですが、 もとをただせばぜんぶ当てずっぽうだというところから きているともいえます。 そういうふうにしながら、わかったもの、 わからないものというところに到達していて、 まだとうていわからない言葉、 わからない問題がたくさん出てきます。 そのわからなさと日本語の系統のわからなさ、 日本語というのはどこから来たのか、 どういうふうにできたのかが いまだにわからないということとは 関係があることであって、 それがどういうふうにできて、 どういう言葉なんだというところへ 手探りでもなんでもどんどんさかのぼっていかなくては いけない、というようなことがあります。
【A140】芥川における反復概念15 Aug 201501:34:37
【A140】芥川における反復概念 時間:94分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1992年4月16日 主催:神奈川近代文学館/神奈川文学振興会 後援:日本近代文学館 場所:神奈川県立音楽堂 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 音源について 芥川龍之介の生誕100年を記念して 神奈川近代文学館で開かれた 「芥川龍之介展」での記念講演会。 音源は主催者から提供を受けたもので クリアに収録されている。 講演より 芥川の作品を読み返して改めて感じたことは、 芥川が漱石の影響を被っている度合いは とても大きいんだなあということでした。 変ないい方をしますと、芥川という人は 「漱石に魅せられた生涯と文学」だなということを 強く感じました。 乳幼児期の不幸な生い立ちという点で、漱石と芥川は たいへんよく似ていて、 たいへんよく似た気にしかたをしています。 芥川は閲歴についても、作品についても、 漱石という偉大な師を生涯の反復概念の手本にすることを いつでも意識していたと思えてしかたないのです。 そう意識しながら、 そこからどうやって出て行こうかということが、 芥川にとってとても重要な問題になったんだと 思われてならないところがあります。
【A062】日本資本主義のすがた15 Aug 201502:47:24
【A062】日本資本主義のすがた 時間:167分 音質:2 ジャンル:情況 講演日時:1981年11月7日 主催:自治労山口県職員労働組合下関支部 場所:下関市水産会館 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 音源について 「労働組合論── 日本資本主義の構造」 として行なわれた講演。 音質はあまりよくない。 講演より 私たちは日頃、冷え込んだ不況を感じています。 物価高とか不況とか、給料や収益が思ったほどあがらない。 それはいったいどういうことで そうなっているのかということは、 ひしひしと感じることのひとつだと思います。 日々あくせくと時間に終われ、 焦燥感とか不安感みたいなものが残っていく感じが 私たちの内部にあります。 この焦燥感・不安感は いったいどこからくるんだろうかということが、 切実な疑問のように感じられるわけです。 その疑問の根底にあるものは何なのかを 基礎づけることができるかどうか、 そんな実感にできるだけ近づけるかどうかが、 この種の社会や国家の構造論の課題の本命だと思います。
【A046】南方的要素15 Aug 201501:53:02
【A046】南方的要素 時間:113分 音質:3 ジャンル:思想 講演日時:1978年10月7日 主催:部落青年文化会 場所:新宮市・春日隣保館 収載書誌:未発表 音源について 中上健次氏の招きで行われた。 音源はクリアに収録されているが、 講演冒頭部が若干欠けている。 講演より 最初に国家が成立して以降の問題は、 歴史の問題になります。 歴史の問題ということは、記述したりすることが 可能だった時代以降を意味します。 しかし、人間が日本列島に住んでからは それとは比べものにならない長い時間を経ています。 国家が成立する以前に、さまざまな制度的な移り変わりや 集団の組み替えをしてきたことも確かだと思います。 その骨格が現在でもどれだけ残っているか、 残っていないかという問題は、依然として現在の問題です。 国家発生以前の人間の集団や親族集団の組み方を 考えていく必要は、そういうところにあります。 それは決して過ぎ去った歴史以前の問題でもなければ、 もう考える必要のない問題でもない。 現在も依然として考えなければならない問題です。 この講演のテキストを読む
【A117】岡本かの子15 Aug 201501:31:21
【A117】岡本かの子 時間:91分 音質:5 ジャンル:文学 講演日時:1989年3月10日 主催:川崎市民ミュージアム 場所:川崎市民ミュージアム 収載書誌:中央公論社「マリクレール」1989年8月号 音源について 岡本かの子の生誕百年を記念し て開かれた講座での講演。 音源は主催者から提供。 ところどころマイクノイズあり。 講演より 岡本かの子の作品には、 「意味」なんかそんなにないんです。 ただ、〈生命〉があるんです。 本来ならば言葉の概念のなかには、 ぐるぐる巻きになったかたちでしか 〈生命の糸〉は含まれていないんですけれど、 高速度写真的な描写によって、その糸を伸ばしてみせる。 その描写から、読む人は〈生命〉を 感ずることができるのです。 〈生命の糸〉というものをスーッと伸ばして、 川の流れに布をさらすように、さらしてみせる。 〈生命の糸〉をこれだけ感じさせた作家はほかにいません。 この作家は、明治以降の近代文学の女流作家のなかで、 女流という言葉を入れなくても 済んでしまう最高の作家だと思います。 この人を最高の作家というためには、 〈生命の糸〉を感じられないといけないように思います。 この講演のテキストを読む
【A044】共同幻想論のゆくえ15 Aug 201503:59:30
【A044】共同幻想論のゆくえ 時間:110分 音質:2 ジャンル:思想 講演日:1978年5月28日 主催:同志社大学文学哲学研究会「翌檜」 場所:京都教育文化センター 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 音源について 全編にわたってノイズが入っており、 中盤から「ボツ、ボツ」と テープノイズが続く。 黒板使用のため音声が遠のく。 講演より 『言語にとって美とはなにか』と『心的現象論序説』、 それから『共同幻想論』というのは 僕のなかでは別のものではないみたいな 場所があるわけです。 その3つを統一的なところからうまく関連づけられて、 しかも現在の問題点というのが明示できるかというのが テーマなわけです。 うまく関連づけられるかどうかは やってみないとわからないんですけれど、 ここからいけば3つの関連性を ひとつの鎖でつないでいけるんじゃないか、 そうしながらそれが同時に現在の問題点を はっきりさせることができるんじゃないかと思うんです。
【A105】究極の左翼性とは何か──吉本批判への反批判15 Aug 201500:53:20
【A105】究極の左翼性とは何か──吉本批判への反批判 時間:53分 音質:4 ジャンル:情況 講演日時:1987年9月13日 主催:中上健次/三上治/吉本隆明 場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F 収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年) 音源について 中上健次氏、三上治氏、 吉本隆明の主催により オールナイトで行われたイベント 「いま、吉本隆明25時」の講演。 開演から23時間後、 13時10分頃から終演まで収録。 音源はライン録音されたもの。 ところどころマイクノイズあり。 講演より はっきりさせておきたいのは、 国家と資本が対立した場面では、 資本につくっていうのがいいんです。 国鉄が民営化分割されるっていうんだったら、 原則としてはそのほうが正しいんです。 次に、資本と組織労働者とが対立するときには、 労働者につかなければいけないわけです。 その先に、もうひとつあります。 組織労働者と一般大衆のあいだに 利害の激しい対立が生じた場面では、 一般大衆につくのが、左翼思想の究極の姿なんです。
【A056】文学の原型について15 Aug 201502:11:21
【A056】文学の原型について 時間:131分 音質:5 ジャンル:文学 講演日時:1980年8月15日 主催:高知県教育委員会/高知新聞社/高知放送 後援・NHK高知放送局/高知県教職員組合/高知県文教協会 場所:高知市立中央公民館 収載書誌:未発表 音源について 高知県教育委員会などの主催による 「夏季大学」での講演。 終戦記念日である8月15日の夜に行われた。 音源はたいへんクリア。 講演より 文学の原型、あるいは物語のはじめは、 人間の生死と関わりがあります。 人間の生と死についての考え方が どうなっているかということと、 物語あるいは文学の原型がどうなっているかということとは パラレルな関係にあるということです。 人間が生きて、死んでいく、そして 死んだあとにどうなるんだという考え方のなかに、 物語あるいは文学を成立せしめている基本的な構造が あると思います。 現代の文学でそういうことを 典型的に見ることのできる作家は、たとえば堀辰雄です。 堀辰雄の死についての考え方は、ハイデッガー的でもなく、 サルトル的でもなく、単独に、 文学作品の構造と死に対する考え方の構造を 追い詰めています。 この講演のテキストを読む
【A009】戦後詩とは何か15 Aug 201500:57:31
【A009】戦後詩とは何か 時間:57分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1967年11月5日 主催:早稲田大学 早稲田祭実行委員会 場所:早稲田大学 大隈講堂 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 音源について 客席から録音されているため 周辺のノイズが入っており、 音質はあまりよくない。 講演より 戦後詩というものは、 ひとたび再建された戦後資本主義社会という軌道に 戦後詩人が乗ったとき、自ら終結してしまったと 僕は考えています。そしてそれ以降、 「いかにしてどこに詩を創造する凝縮力の核を求めるか」 という問題についてのモチーフを喪失したのです。 現在、詩人が自らの創造の核というものを どこに求めるかを考えると、 〈原型として考えられる大衆〉、あるいは 〈沈黙の意味として存在している大衆〉との 対話によってしか、詩の創造の核は 回復することができないと思います。 詩というものが、戦後すぐの無権力状態における混乱と 無秩序のなかから手探りで見つけた創造の核を、 きわめて秩序を回復しているかに見える 現在の資本制社会のもとで獲得していく唯一の根拠と、 現在における詩人の存在理由は そういうところにあるだろうと考えます。
【A036】『死霊』について──京都大学にて15 Aug 201500:53:32
【A036】『死霊』について──京都大学にて 時間:53分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1976年5月15日 主催:京都無尽 共催:京都大学新聞社・清華短大基礎ゼミ連合・西部講堂連絡協議会・花園大学新聞部・立命館大学一部学芸総部 場所:京都大学 時計台ホール 収載書誌:未発表 音源について 周辺のノイズが入っており、 音質はあまりよくない。 質問はひとつひとつが切れており、 最後に吉本が答えるが、 この部分も途中で切れている。 埴谷雄高氏の『死霊』は、 本講演の前年である1975年、 26年ぶりに「第五章」が発表されていた。 講演より 埴谷雄高さんの『死霊』の世界は、 登場してくる人物が少しも肉体というものを感じさせず、 いずれも観念の権化であるということを 徹底的に体現しています。 なぜこういう作品が成立したかというと、 埴谷さんは、かつて日本の革命運動に 徹頭徹尾政治的に関わり、戦争をくぐって、 徹頭徹尾文学的に再出発するというかたちで 戦後を生きてこられた人です。 革命と戦争をくぐったときに、 肉体は権力のために制圧されるかもしれないけれども 観念だけは自由だ、 観念だけは誰にも奪われることがなかった──そういう 体験が『死霊』という作品の登場人物の 特徴として出てきているのだと思います。 この講演のテキストを読む
【A048】現代詩の思想15 Aug 201502:06:24
【A048】現代詩の思想 時間:126分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1979年3月7日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 音源について 詩誌「無限」を発行していた 株式会社無限主催 「無限アカデミー・現代詩講座」 での講演。 冒頭部分が若干欠けているほか、 反響音やノイズが入っている。 講演より 詩を書くこと自体に倫理的な意味をつけるより、 「詩を書くこと自体が詩なんだ」という問題が、 詩というものの思想的な意味なのではないかと思います。 詩の思想の問題は、徹頭徹尾、言葉の問題です。 言葉として「やっているな」というものが打ち出せれば、 それは詩であり、 打ち出すこと自体が思想であるというところに、 現代詩の思想のかなり大きな部分が入っています。 言葉は思想の手段であるか、 思想の倫理であるかということではなくて、 言葉自体が思想です。 そういうところで現代詩が書かれている。 その問題が枢要と思われます。 この講演のテキストを読む
【A158】私と生涯学習15 Aug 201501:45:10
【A158】私と生涯学習 時間:105分 音質:2 ジャンル:思想 講演日時:1993年10月3日 主催:文京区教育委員会 場所:文京区女性センター 収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年) 音源について 客席から録音されたもので 全編にわたってノイズが 入っており音質はよくない。 講演より 古くから叡智という言葉があります。 一生勉強するのは、叡智を持つことが いちばん大きな目的になるのかもしれません。 それは一生学習するに値するのではないかという 感じを持ちます。 叡智は学識・経験とは違うものです。 ものごとが具体的に起こったときに、 本で判断するとか、学識があるなしでなく、 叡智があるなしでずいぶん違う。 叡智を養うということは、 学校で生まれることではありません。 制度的な学校というものは叡智を養うには そんなに役に立たないものだと、僕は考えます。 それは生涯の問題だといってもいいのです。 学校を出てから、 本格的になってくる問題だという気がします。
【A174】現在をどう生きるか15 Aug 201501:08:54
【A174】現在をどう生きるか 時間:68分 音質:5 ジャンル:情況 講演日時:1995年9月3日 主催:教育研究会/山梨日々新聞社 場所:山梨県立文学館講堂 後援:新潮社 収載書誌:ボーダーインク『現在をどう生きるか』(1999年) 音源について 山梨県立文学館で行われた シンポジウムにおける講演。 他の講演者には芹沢俊介氏、 藤井東氏、山崎哲氏がいた。 音源は主催者提供。 講演より 「現在」ということをいうのに、 一般に、「価値の多様化」ということを 人々がいっているわけですけど、 僕はそういうふうに考えていません。 もともと生活における価値観が多様だというのは 当然のことです。 僕は、「価値の浮遊性」というように考えています。 「価値が浮かんで価値の本体から 離れてどこへでも行ってしまう」 ということです。 価値ということはひとつの問題に過ぎません。 「浮遊性」──つまり、ある事柄が 本体のところから離れてどこへでも行ってしまうという そのことが、「現在」の特徴として いえるのではないでしょうか。 「浮遊性」を共通の理解事項とすれば、 「現在」ということがいえるのではないかと考えています。 この講演のテキストを読む
【A103】文学論──文学はいま15 Aug 201500:59:35
【A103】文学論──文学はいま 時間:59分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1987年9月12日 主催:中上健次/三上治/吉本隆明 場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F 収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』1988年 音源について 中上健次氏、三上治氏と 吉本隆明の主催により オールナイトで行われた 「いま、吉本隆明25時」の講演。 開演から7時間ほど後、 21時35分頃から行なわれた。 吉本隆明は「都市論 I 」に続き 2度目の講演。ライン録音。 ところどころマイクノイズあり。 講演より もし現在の文学が、さびれている感じがしたり、 隣接するほかの世界に 活性が吸収されていってしまうと感じることが あるとすれば、それは「毒性のなさ」が 大きな要素になるのではないかと思います。 「毒性」ということにはふたつの意味があります。 ひとつは、とても醒めていることです。 もうひとつは、否定性だと思います。 そうした意味でいえば、 村上龍さんの作品も山田詠美さんの作品も、 刺激的な毒性を持っているのです。
【A181】日本アンソロジーについて15 Aug 201502:04:11
【A181】日本アンソロジーについて 時間:123分(うち質疑応答10分) 音質:5 ジャンル:文学 講演日時:1998年9月25日 主催:文京区立鷗外記念本郷図書館 場所:文京区立鷗外記念本郷図書館 収載書誌:未発表 音源について 主催者から提供を受けたもので クリアに収録されているが、 質疑応答が10分程度のところで 切れてしまっている。 なお、2007年1月に 『思想のアンソロジー』が 筑摩書房から刊行された。 講演より 僕は、歳を食って、 締め切りに追われる仕事から免除されて、 なおかつ経済的ゆとりがあったら、 のんびりしたかたちでやろうと思ったことがありました。 ひとつは、日本の詩歌の 古代から現代までのアンソロジーを 自分の好き勝手な選び方をしてつくりたい。 もうひとつは、古代から現在までの 思想のアンソロジーをつくって、 のんびりと必要な個所を掲げて、 古い時代ならそれに口語訳の訳文もつける。 あとは自分勝手な注釈をつける。 そういう、ふたつのアンソロジーを つくってみようという望みを持っていました。 理屈っぽい思想のアンソロジーと詩のアンソロジーと、 両方を自分勝手にやりたいというのが願望です。 願望はうかうかしているとだめだぜ、という感じですから、 暇を見てはちょこちょこやりかけています。 終わるにはなかなか時間がかかりますが、 やりかけています。 この講演のテキストを読む
【A163】芥川龍之介15 Aug 201502:43:46
【A163】芥川龍之介 時間:163分 音質:5 ジャンル:文学 講演日:1994年7月28日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 音源について 「近代文学館・夏の文学教室」 での講演。 吉本隆明の参加はこれで5年連続。 音源は主催者提供で、クリア。 中盤から録音レベルが若干下がり、 講演の終盤、テープチェンジのため 10分ほど欠けている。 講演より 僕らは若いとき、芥川の死に いろんな意味をつけたいと思いました。 「自分は近所の駄菓子屋で駄菓子を買って それを食べながら道で歩くみたいな 下町の下層の中流というようなところで育った。 そして自分は文学的な試みとして、 西欧的なものを取り入れようとしたり、 場所をいろいろ移動してみたりしたけれど、 ついに自伝的に自分の情緒が帰するところは、 本所あたりの駄菓子屋で、駄菓子を買って食べながら 遊んでいた子ども時代、そういう街の雰囲気の懐かしさが 本来的な自分なんだ」 ということを、晩年の自伝のなかではじめて 芥川はいっています。 僕はそれがいちばん好きな感じ方だったので、 芥川はなぜ死んだかという理由づけにしました。 文学的に無理をし過ぎてその無理がたたって、 死ぬ以外になかった、大川端情緒にひたるぐらい もっと自然になれればよかったのにな、 というのが芥川論を最初に書いたときの 僕の考え方の基底でした。
【A135】現代を読む15 Aug 201502:27:17
【A135】現代を読む 時間:147分 音質:3 ジャンル:情況 講演日時:1991年10月20日 主催:前橋市・煥乎堂 場所:煥乎堂音楽センター3階ホール 収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年) 音源について 群馬県前橋市の書店 煥乎堂により、 「煥乎堂文芸講座」として 開かれた講演会。 客席録音だが、比較的クリア。 講演より 「現代を読む」という場合の、 「現代」と「現在」とを区別してみることは、 僕の考え方ではたいへん重要だと思います。 僕の理解のしかたでは、日本の社会が 「現在」に入った兆候を見せたのは、 1973(昭和48)年頃です。 わかりやすい象徴をいいますと、 そのとき札幌ビールが「天然水No.1」を発売しました。 いわゆる名水、水をはじめて売り出したのが この73年です。 マルクスのように興隆期の資本主義を 分析した人がいうところでは、 水とか空気はたいへんな使用価値があるが、 交換価値はないということになります。 ところが天然水を売るというのは、 水に交換価値が出てきたことを意味します。 それは、経済の段階で資本主義が 一段階上にいったということです。 初期の興隆してゆく資本主義分析の 基礎になっている考え方が、 やや通用しがたくなった兆候が、 日本社会では1973年前後にさまざまなところであらわれ、 そのとき以降日本社会は 「現在」に入っていったと考えられます。 それは、社会が未知の段階に入っていったということです。
【A053】過去の詩・現在の詩15 Aug 201502:48:47
【A053】過去の詩・現在の詩 時間:168分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1980年2月6日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 音源について 詩誌「無限」を発行していた 株式会社無限が主催. 声が若干遠く聞こえ、 ところどころにノイズが入っており 音質はあまりよくない。 質疑応答が講演本編より長い。 講演より 現在の詩のあり方ということと同じ意味あいで、 過去の詩のあり方を問い直そうとするならば、 その再現はたいへん複雑な陰影の立て方を しないとできません。 ある詩が日付として新しいか、 同時代であるかということは、 詩の新しさ、古さと少しも 関係のないことだといえると思います。 同じ時代に書かれていたとしても、 片方がまるで古代的な形式の様相を たくさん保存して書かれていながら、 もう一方でまったく フォルム自体がわからない詩が書かれているということも ありえるわけです。 これらを等しく、過去の同時代の詩と 理解しなければいけないということの複雑さ── 詩の言葉の空間の複雑さ──がありえるとともに、 日付としては現在の詩が、現在の詩として考えたら 考え違いをしてしまうということが ありえるのだということも、 かなり複雑な陰影を過去の詩と現在の詩のなかに 提起すると思います。 この講演のテキストを読む
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