Explore every episode of the podcast Cinéma de Canard〜映画の晩年〜:THE PODCAST
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| S2-E2:自分以外の「誰か」と出会う為のタイムリープ、あるいはループ マックス・バーバコウ監督「パームスプリングス」Presented byちょり | 11 Sep 2024 | 01:19:52 | |
立て続けの配信となりまして、シーズン2のエピソード2でございます。 今回のテーマはちょりさんのセレクトにより「タイムリープ」を扱った作品ということで、マックス・バーバコウ監督の「パームスプリングス」を取り上げます。 本エピソードは、前回のエピソードと同日に収録。2024年5月に収録したものです。 テーマ的にも全く違うジャンルの作品でありながら前回のエピソード「ファイト・クラブ」回でも話題に上った「ジェンダー」を通して浮かび上がる考え方の差異が浮き彫りになります。 加えて「同じ一日を繰り返す」ことに閉じ込められるということは、ある種の自分の世界に閉じこもる「引き籠り」のメタファーとして機能していることがわかります。 その繰り返す日々の中で、人生を回復する物語として本作はユーモラスで、ユニークな設定を持ちながら「人生」についての映画でもあるという素晴らしい作品。 珍しくホスト3人の評価が高評価で一致した状態で和やかにトークが進むのが今回こそ聴きどころかと思います。 あまり語られることの少ない作品だけに是非、作品にも触れて頂きたいと思います。 CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:ProfM COVER ART ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:MURAKAMI 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ cinemadecanard@gmail.com | |||
| S2-E1:「思想が強い」をメタ化するイデオロギーの映画 デヴィッド・フィンチャー監督「ファイト・クラブ」presented by村上 | 09 Sep 2024 | 01:25:47 | |
まず、配信がとても遅くなりましたことを心よりお詫び致します。楽しみにして頂いていたリスナーの皆様大変お待たせ致しました。そして、申し訳ございませんでした。 その理由として、まずは今回より「SEASON2」のフェーズに入り、新ジングル作成にかなり時間を要してしまったこと。ホストを務めております教授、村上、ちょりの3人のスケジュールが確保できなかったこと。 加えて配信のプラットフォーム(?)の仕様変更(=事実上のサービス停止)によって約10ヶ月ぶりの更新となってしまいました。元々不定期配信の当番組ではありますが、まだまだ模索中の状態でございます。 というわけで、当エピソードの収録もかなり前のこと、2024年5月に収録致しました。取り上げる作品は、村上君セレクトによるデヴィッド・フィンチャー監督の「ファイトクラブ」です。村上君が固執している「90〜00年代的価値観」からの現在の若者世代への影響というテーマは40代半ばである私(教授)には、まさに現在の村上君やちょりさんぐらいの年代だった頃のリアルタイムで体感した世代であり、むしろそのジェネレーションギャップによる「衝突」が聴きどころでもあります。 また、議論は「普遍的価値」と「時代性」についても及び、当番組で繰り返し語られている「我々は作品のメッセージを誤解し続けている」という論点に辿り着きます。 「時代の作品」だからこその作品の普遍性は、その発表当時では作品を上手く受け止められないという事を引き起こします。むしろ年数を経て時代の価値観が変容した時にこそ、そのメッセージが明確になるということも往々にして起こります。 今回取り扱う「ファイト・クラブ」はまさにそういう作品だと思うのです。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:ProfM COVER ART ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:MURAKAMI 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ cinemadecanard@gmail.com | |||
| S1Fin -E12:本多猪四郎監督「ゴジラ」〜かつての「戦後」と新しい戦前を生きる〜 | 31 Dec 2023 | 01:28:10 | |
2023年最後の配信を目指していたのですが、大変申し訳ございません、少しだけ遅くなってしまいました。あけましておめでとうございます。 というわけで、ずっと更新が滞っていた昨年の前半から、怒涛の更新ラッシュとなった後半と躁鬱感の強い当番組のシーズン1のラスト・エピソードとなります。 今回は前回の山崎貴監督の「ゴジラ−1.0」からの続きで、1954年に製作された本多猪四郎監督の「ゴジラ」を取り上げます。 前回のトークで村上君が述べていた通り、本質的な意味で「パブリック」な意味を持つのは「戦争」であったり「原水爆の脅威」を、ある意味でポップに語る触媒として有用性があるのが「ゴジラ」というキャラクター・アイコンであるという視点。 2023年のこの日本の状況に対して、前回のエピソードで語った「実体のない戦争映画と個人」というものが、1954年の日本では「戦争」について「個人」についても、確実な実在感をもって描かれているのが本作です。 何より「映画」の役割や機能として、これらの生々しい個人や社会の問題を観客に問うているということが本作には満ちているという驚きと、怪獣映画というジャンル性の中にかなりの多くの部分を「ロマンス」によって表現されているという本多監督の特異性。 などなど本編でも僕が述べている通り「ゴジラこそ映画そのもの」というエピソードになっています。 2024年からの「シーズン2」への橋渡しとして、社会のことと我々それぞれのバックグラウンドについて、映画を通して「語っていく」という当番組の骨子に立ち返ったエピソードになったと思います。 そして、次回予告で述べていた、2023年の最終エピソードは、残念なことに村上君が急病の為延期、あるいは中止となってしまいました。楽しみにされていた方には本当に申し訳ございません。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ cinemadecanard@gmail.com | |||
| S 1-E11:山崎貴監督「ゴジラ−1.0」〜かつての「戦後」と新しい「戦前」の時代を生きる〜 | 25 Dec 2023 | 02:03:41 | |
2023年ももうすぐ終わり。当番組が本格的に始動してのシーズン1は今回と次回の2エピソードで終了となります。
基本的にはタイムリーな「新作」を扱うことはほとんどない番組なのですが、年の瀬ということもあり、前回の「パルプ・フィクション」回で予告していた通りキャスト各々で持ち寄った2023年公開の課題作品の中から1本をセレクトした結果、現在日本だけでなく北米でも大ヒットしている超話題作山崎貴監督「ゴジラ−1.0」について語ります。
トーク中でも触れていますが、まずはお詫びです。前回サイコロの出目で課題作品を決めようと、某ラジオ番組の企画を拝借して決めたのですが、出目を見間違えてしまったことが収録後に判明しました。本来は森達也監督「福田村事件」を扱うはずだったのですが、協議の結果、番組で宣言した通り今回は「ゴジラ−1.0」を取り扱うことになりました。
というわけで、今回はキャストの評価が全員一致で酷評という展開に。当然と言えば当然と我々は感じる内容ではありますが、それに反してもはや「世界的なヒット作品」となっている現状は恐ろしくもあり、興味深い現象でもあります。
且つ、大変な話題作でもあり、現状「賛否」は大きく呼んでいる作品でもあり、当番組と同様に多くの人が常に語り倒している作品の為、新味のない議論になっている側面もありますが、次回エピソードも合わせて、近年言われる「新しい戦前」という時代には不可避なテーマとして語る価値の高い作品だと思っています。
とかく、当番組では「戦争」というキーワードと、それを巡る「作家論」というテーマが顕著で出てくる傾向が強く、今回のエピソードも多くがそのテーマに関わっている点も、偶然と必然も加味して興味深いと思っています。(教授)
CAST/ 教授、村上、ちょり
STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M
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| S 1-E10:クエンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」~映画の晩年から顧みる90年代の映画革命~ | 22 Dec 2023 | 01:51:38 | |
今回のエピソードはメンバーのちょりさんの「最近の映画観ていてポリコレ(注:通称ポリコレ。政治的正しさと訳される)の主張が強くて煩わしい」という指摘があり、映画離れの兆しがあり、番組存続危機を回避するためのエピソードです。 映画ファンには大変人気の高い本作。それ故に語られ尽くした感も強く、また強固なファンダムに支えられた…つまり下手なことを言うと顰蹙を買ってしまう可能性の高い超有名作品です。 本作品の公開後、まさに時代が変わったと言えるほど、多くのフォロワーが存在し「映画ファン」という存在にとっては大きな賛否もありつつ、その賛否についてより語りづらさがより顕著な、面倒くさい作品でもあります。 個人的には「映画ファン」という存在に対してうまく言語化できない、というのが僕にとっての「映画探究」の動機でもあり、本作を過剰に「ありがたがる」という風潮は作品の評価とはまた別軸で苦手意識もありつつ、世代的にはまさに「ドンピシャ」でもあり大きな影響を受けてもいるというパラレルがより語りづらさを増していていつもよりも歯切れの悪いトークになっています。 一方で、これまでのエピソードで「偏向的」な独自の視点を披露してくれる村上君についてはリアルタイム世代ではない視点での批評眼を提示してくれつつ、ちょりさんに至っては毎度のフラットさで三者三様の語り口で語ってみました。 今回のエピソードは、作品の情報量に対して「語り尽くした」感はないことは認めざるを得ないことですが、本作を語るということが、2023年の映画語りの地平としては大変難しいところにあるというのはしっかり伝わるエピソードになっていると思います。 (教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S 1-E9:【特集・ジャン=リュック・ゴダール④】ジャン=リュック・ゴダール監督『小さな兵隊』~新しい戦前とかつての戦後を巡る批評と闘争~ | 02 Dec 2023 | 01:47:19 | |
今回のエピソードの収録は、「エピソードの8.5」と同日の2023年8月30日。オープニング用に長めに雑談を収録した手前、今回はいきなり本編から始まります。 今回取り上げる「小さな兵隊」に関しては、なかなか取り上げられる機会の少ない作品だと思います。デビュー作「勝手にしやがれ」で時代の寵児となったゴダールの華々しさから比べると、きっと「佳作」としてひっそり位置付けられている気もしますが、個人的にも、トーク本編でも語られている通り、まず「娯楽映画」としての面白さがまず際立っています。 この佳作、といった風合いは、トークの本編では言及し損ねましたが、作家・村上龍の「限りなく透明に近いブルー」からの2作目「海の向こうで戦争がはじまる」とも呼応するかのような、つまりは村上龍はその辺りを意図して作品を発表したというような、文化的影響がやはり当時のゴダールにはあったことを細やかに示すものだと思います。 いわゆる「実録スパイ映画」のテイストに、本特集の肝ともなる「ゴダールのお家芸」となるメタ的な「男女の恋愛」もより「実録感」のある生々しさが同居している作品になっていて大変興味深いところです。それは、なんと言ってもアンナ・カリーナとの出会いに尽きるものです。 ゴダール作品を語る上で、政治という題材は欠かすことができないですし、2作目にしていきなり「政治闘争としての映画」という今後の創作姿勢を伺わせるような、実は重要な作品でありつつ、まるでそれを邪魔するかのような、恋に没頭し、公私混同して行くゴダールの「可愛さ」こそが、ゴダール映画をエンターテイメントとして楽しむ鍵だと思うのですが、トーク中でも、その表層の部分で「どう語って良いものか」に四苦八苦する様が僕らにも如実に出ています。 それが終盤になり、本作を「楽しく語ろう」と一転する展開に変わっていく辺り、というのがこのエピソードの録れ高として狂喜する瞬間でした。 そういった「ナマモノ」としてのトークを楽しんで頂ければ幸いです。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S 1-E8.5:収録前の蔵出し雑談トーク 2023年、夏。 | 29 Nov 2023 | 00:44:52 | |
今回のエピソードは、ジャン=リュック・ゴダール特集の4回目「小さな兵隊」のトークを収録前のオープニング用に長めに収録した雑談の内容です。 収録したのは2023年8月30日。猛暑の夏の、またまた久しぶりに会った教授、村上、ちょりの「声出し」を兼ねて話しているエピソード・トークです。 村上君はデヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」と再上映について、はたまたちょりさんについては、僕の勘違いで話を振った「カセットテープ・ダイヤリーズ」とブルース・スプリングスティーンの話から、当番組では語ることの少ない音楽についてなど、はたまた私、教授の最近映画館で寝ちゃう問題からの、映画疲れからの「ワイルド・スピード」シリーズや「トランスフォーマー」シリーズに逃避している近況についてのトークです。 雑談回の長所は、まさに雑談から生まれてくる生活感。 配信開始から1年を経過しての、関係性の変化楽しめるリラックスしたエピソードになっています。 (教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E8:【特集・ジャン=リュック・ゴダール③】大島渚監督『無理心中 日本の夏』~新しい戦前とかつての戦後を巡る批評と闘争〜 | 29 Nov 2023 | 01:35:42 | |
本エピソードはもうずいぶん前に収録されました。公開が遅くなりまして大変申し訳ありません。 収録日は2023年3月24日なのですが、ひとつは企画当初にあった「ゴダール特集」に対しての「ビビり」から、よりわかりやすく語るためのアイデアとして「サブテキスト」を用意、別の作品を語ることで、ジャン=リュック・ゴダールを読み解くというアプローチを考えていました。 前回と特に今回はそのアプローチが功を奏しているところもあり、わかりやすく「比較」できるものとして機能しているのですが、今後の特集を組むにあたっては、個々の作品について語ることと、ゴダール作品に結びつけてのトークがなかなか合致しないという課題にハタと気付いてしまったというのがあります。 加えて、没後間もなくのタイミングでは、主にストリーミングで視聴可能であったゴダール作品が、軒並み消えていく事態が発生しているというのもあり、我々の制作スピードと映画鑑賞(視聴)の環境の世間的な変化というものにまんまと翻弄もされているという背景もあります。 映画というカルチャーをアーカイブする。これが想像以上に大変であること。映画だけでなく芸術史においても重要なジャン=リュック・ゴダールであれ、作品を気軽に鑑賞しづらいという状況が現実的にこんなに難しいとは…と途方に暮れてしまっている状態です。 とはいえ、ひとまずはでき得る限り作品を取り上げ、今後も拙いなりにゴダール作品だけに限らず、映画というものを語っていくことはやめない、という意思のもと、本エピソードもお送り致します。 ゴダール同様、大島渚監督についても、作品を中々取り上げて語られる機会は多くはないと思います。 ましてや「戦場のメリークリスマス」あるいは「愛のコリーダ」についてはまだ4Kリマスター公開などがされている状態でありますが、本作をはじめとしてフィルモグラフィーを追って取り上げる為にはなかなか言及されにくいというには残念なことだと思います。 観ることができるだけ、昔よりも良いということも言えなくはないですが、現状もU -NEXTのみで視聴可能ということで、映画史的な大島監督の位置としては、確実に「ぞんざい」であると言えると思います。 そんな義憤も加えつつ「新しい戦前」と言われる現在の世界情勢の中で、歴史的な敗戦を迎えた日本の「戦後」を描いた本作について語るのは、なかなか意義深いトライアルだと思います。 (教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E7:季節外れの大新年会 2022年&2023年上半期まとめ。 蔵出し雑談会スペシャル | 27 Nov 2023 | 02:39:17 | |
またまた久々の配信となりました。緊張感漲る白熱した番組づくりに邁進する!と意気込んでいた製作当初からうって変わってマイペースな配信頻度と、方向性にブレが出てしまっている感は否めず大変申し訳ありません。
とはいえ前回の「君たちはどう生きるか」のエピソードで徐々に再生回数やフォロー数に変化も生まれ、調子づいてもいたりしてという現金さもありつつで、より方向性を見失ってしまっての最新エピソードになります。
…とはいえ、本エピソードはもうかれこれ、配信日の訳半年前の2023年5月17日に収録されました。新型コロナウィルスの影響があったのかなかったのかははっきりしない状況の中、リモート収録が続いていた中、この日はかなり久方ぶりの再会、という状況で行われました。
その為、かなり遅れての「新年会」として、実にまとまりのない話をしています。「タイムリーさ」とは全く無縁の当番組。2022年の重要作に触れつつ、触れなかったり、2023年上半期に関しても当時「楽しみですねぇ」としか言っていない体たらく、且つ舌鋒鋭く「日本映画批判」が目立つ、リスナー様のお耳を汚しかねない点が多いのはご容赦ください。
収録された音源を何度も聞き返して、あまりの取り止めのなさに我ながら驚いてしまっております。
ただ、一方で、できる限り「録ったものは出していく!」という面白さを感じている部分もありまして、番組開始からあっという間に一年以上経過して、少しづつ少しづつ内部を固めつつ、本当に当初の予定とはかけ離れて「緩く」そして一方で「細く長く」続けることができたら、と気持ちの変化が生まれている感じ、というのを本エピソードから感じ取ってもらえたら嬉しいです。
安易に精査されていない生っぽさを「ライヴ感」と言い訳してはいけないなと思いつつも、居心地の良さを感じているというのが本エピソードから連なる、2023年終盤の僕の偽らざる気持ちであります。
というわけで、リスナーの皆様にとって、特にどんな楽しみを提供できるか、全く想像ができない今回のエピソードではありますが、僕たちなりの「雑談会」として楽しんで頂けたら幸いです。(教授)
CAST/ 教授、村上、ちょり
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| S1-E6:【特別編】「オタク文化」との衝突を通した「脱考察」としてのシン宮﨑駿論。 宮﨑駿監督「君たちはどう生きるか」 | 07 Aug 2023 | 02:46:17 | |
今回の配信は予定を変更して、現在公開中(2023年8月時点)の新作劇場公開映画、スタジオジブリ制作、宮﨑駿監督作品の「君たちはどう生きるか」を取り上げます。 世評の賛否両論に背を向けて。そしてエピソードタイトルにあるように「考察」という病と罠に陥らないように、と心がけつつ、我々が目指しているのは「批評」なのか、それとも「感想」なのか、あるいは「考察」なのかという自問自答のスパイラルが我々の中にもあるのです。 本作は、宮﨑駿監督の「自己言及的」でありながら、その自己言及的であるという言い切りが、まさに映画について論じる側にブーメランとして刺さるような、賛否の言及をすり抜けていく凄みがある作品です。 それがまさに、映画やアニメーションを「オタク」として消費し、作品の意図から離れて、観客の権利の行使によって「解釈」によって切り刻まれる作家/作品に対しての、偽らざる心情が吐露された「正直な悪意」によって表現されている作品で、タイトルからして「どう生きるか?」という問いと同じく「受け止める」側への要求度の高さを痛感しながらの収録となりました。 まだまだ言葉足らず、収録時にはすっかり忘れて言及できなかったことも多々ありつつも、本作は特に個人的には「神回」的な切れ味も持ってトークが展開できたと思っています。全方位の映画好き/アニメーション好き、特に「オタク」というカルチャーに対しては毒づいてしまって敵ばかり作るような内容になっておりますが、それはまた「ご愛嬌」ということでお楽しみください。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E5:わたしたちにとっての生活と映画、そしてセラピー③ 五社英雄監督「鬼龍院花子の生涯」 | 02 Aug 2023 | 02:14:10 | |
もう夏真っ盛りだというのに、エピソードも2023年初頭にの収録分をようやくアップロードです(色々と滞っていてすみません)。 今回も、人生と映画、生活と映画は併走していくというテーマのラスト。私、教授のセレクトで、五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』を取り上げます。 トークの中でも触れましたが、今や「(当時の)邦画メジャー作品」こそマイノリティで、とにかく観られること、語られることが少なくなってしまったという印象があり、その中でも今回は「ポピュラー」な部類に入る本作。 ポリティカリー・コレクトレスやジェンダーに関する話題、議論が盛んな昨今の映画状況ではありますが、些か露悪的であったり、暴力的であったりもする時代の表現の中にも、現代に通じる意識というのは、明確に映画という芸術は詳らかにしてきた、というようなことを表明したくて番組を制作しています。 今回は、まさにその暴力であったり、反社会的風俗であったり、あるいは性表現の中に、それでも現代に有効な切り口の示唆も含めて語っている内容になります。 また、1980年代当初。もはや下火になっていた日本映画というジャンルにも、まだ「映画俳優」という視点で、見事な俳優たちの魅力についても語っています。 特に、五社英雄監督の「演技を引き出す」豪胆な演出と相まっての各出演者ごとの魅力について語っています。 個人的に、前のめりに楽しく話し込んでしまった回となりましたが毎度のこと、ご容赦ください。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E4:わたしたちにとっての生活と映画、そしてセラピー② デヴィッド・クローネンバーグ監督「クラッシュ」 | 09 Jun 2023 | 01:50:05 | |
今回のエピソードも2023年初めての収録です。 人生と映画、生活と映画は併走していくというテーマで村上君のセレクトで、デヴィッド・クローネンバーグ監督の「クラッシュ」を取り上げます。 自動車事故に対して性的興奮を得る人々を通して「生と性」そして死を通して「生」を浮かび上がらせた作品で個人的には「映画」が最も描くべきテーマに挑んだ作品だと思います。 今回も「セラピー」としての映画の側面。前回のエピソードではちょりさんの恋愛を通じてもアイデンティティの独白だったことに比較して、村上君の「疲れ果てた若者」への分析が聞きどころです。 映画作品についての言及から始まった当番組が、話していく中で「自分語り」に収束していく面白さ。 加えて、現代は特に「性」についての議論がクローズしがちな中で、そこから派生する「死生観」にまで発展してトークは展開します。 村上君を中心とした独白をお楽しみください。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E3:わたしたちにとっての生活と映画、そしてセラピー① ミシェル・ゴンドリー監督「エターナル・サンシャイン」 | 07 May 2023 | 01:49:36 | |
随分と久方ぶりの更新となりました。少しばかりの多忙を極め、収録したのは思い起こせば2022年末。かれこれもう5ヶ月ばかり月日が経ってしまいました。 というわけで、ようやく再開の運びとなりましたが、本当に時の流れは残酷でして、今回はキャプションは少なめに。 前々回から、非常に「恋バナ」めいた独白が続く我々ですが、今回から3エピソードは、ちょり、村上、教授の順番で、極私的に「セラピー」的に選んだ3作品のついてお送りします。 その一本目は、ミシェル・ゴンドリー監督「エターナル・サンシャイン」。 一風変わった恋愛映画ですが、早速ネタバレをしますが「ループもの」の一種。 特に、私、教授は全編に渡ってほぼ同じ話をループさせまくっている珍エピソード回となっております。 とはいえ、今回は聴いてみないとわからない、かなり変なテンションで語っております。 とにかく、言っておきたいのは、人生と映画、生活と映画は併走していく、ということであります。 それでは、どうぞ。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E2:【特集・ジャン=リュック・ゴダール②】ジャン=リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」〜海が嫌いでも、山が嫌いでも、都会が嫌いでも、恋に落ちていく我々の、「勝手にしやがれ」について〜 | 22 Feb 2023 | 01:42:24 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。 これまでの「SEASON 0」と題した各人の自己紹介的な作品セレクト、そして「批評」を経て今回から「SEASON 1」として本格的に番組は始動します。 今回は、2022年に亡くなったフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール監督特集としての第二弾。 いよいよ、ゴダール監督の作品、商業映画デビュー作品「勝手にしやがれ」を取り上げます。 ゴダール監督に「憑依」したい私の語りたいゴダールのミソジニー(女性嫌悪)性と恋愛体験における苦痛。そこに自己投影を回避したい村上。初めて観るゴダール作品に対して「現代」を代表しての冷静な視点で語るちょりの相変わらずの三者三様の映画論。 「難解」と語られるゴダール監督の作品をできるだけポップに、しかし「観たまま」「感じたまま」に素直に観てみれば「普通に面白い」という発見のある、当番組の目指したひとつの目的を体現したエピソードになっています。 つまり、すなわち映画史的な「技巧」や「価値」とは離れた部分で「作家(あるいは人)が作っているものは面白い」「映画って難解に感じても面白い」の一端を感じて貰えれば救いになると思っています。 今回もリモート収録の為、音声に時折ノイズが入ります。 お聞き苦しいところも多々ありますことをお詫び致します。 (教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M 番組に対するご意見、ご要望、苦情などはこちら↓ | |||
| S1-E1:【特集・ジャン=リュック・ゴダール①】ウディ・アレン監督「アニー・ホール」〜海が嫌いでも、山が嫌いでも、都会が嫌いでも、恋に落ちていく我々の、「勝手にしやがれ」を読み解く為のテキスト〜 | 22 Feb 2023 | 01:47:49 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。 これまでの「SEASON 0」と題した各人の自己紹介的な作品セレクト、そして「批評」を経て今回から「SEASON 1」として本格的に番組は始動します。 今回は、2022年に亡くなったフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール監督特集としての第一弾。 映画史においても最重要な「ヌーベルバーグ」という芸術運動の筆頭でもあり、とにかく後世への影響力が絶大な存在。 加えて、その「先鋭的」過ぎる表現から「難解」とも称される巨匠の作品を、もう少し「エンターテイメント」に引き寄せて語ってみようという試みとして、初期作品「アンナ・カリーナ期」の作品を取り上げる…その前に、更にそれらを読み解くために、更なる別の作品を参照してみようということで、今回はウディ・アレン監督の「アニー・ホール」を取り上げます。 トーク本編では、本作の主人公であるウディ・アレンが演じる主人公、アルビーに纏わる、教授、村上、ちょりの自分語りから、なかなか近年疎まれがちなトキシックでセンシティブな恋愛にまつわるトークから、ウディ・アレンのキャンセル事情まで何かと幅広く語っています。 そして、何より驚くほど、ジャン=リュック・ゴダール監督の作品とも類似点が多く、本作と比較しながら観るとわかりやすさが倍増するという企画意図にしっかりハマった妙な悦びに熱が帯びています。 今回もリモート収録の為、音声に若干違和感もありますが、ご了承くださいませ。 さらに、本編では「6回目」と発言しておりますが、正確には「7回目」です。失礼致しました。(教授) CAST/ 教授、村上、ちょり STAFF/ DIRECTOR & EDITER:Prof M THUMBNAIL DESIGN:Prof M ILLUSTRATION:CHORI SOUND STICKER:Prof M | |||
| S0Fin-E6:イ・チャンドン監督「ポエトリー アグネスの詩」〜詩と映画が浮かび上がらせる「物語」の強度と、「血」によって描かれる「創作」の本質〜 | 08 Dec 2022 | 01:45:13 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
今回で自己紹介がてらの「SEASON 0」は終了。
ここまで成り行きで「日本映画」が続いた当番組初の外国映画。私、教授のセレクトでイ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」を取り上げます。
映画と詩の類似した関係。映画の持つ「詩的」な表現が物語の強度に繋がり、教授、村上、ちょりの「映画語り」の中にも「詩性」が宿るトークになっていると思います。
映画の中に描かれる「尊厳」や、映し出される「社会」の有り様。ジェンダーという言葉では単純に語り得ない「性差」によって浮かび上がる感情。ちょりさんの口から語られた「女性性」の強さと弱さに対しての言及と、「創作は血を流して行われるべき」と語られることへ「生きろ」と反抗をぶつける村上君。ただただその血を流し、破滅的な中から「芸術」で社会に反抗することに耽溺する私、教授との三者三様のトークが聴きどころです。
今回はリモート収録の為、音声に若干違和感もありますが、ご了承くださいませ。(教授)
CAST/
教授、村上、ちょり
STAFF/
DIRECTOR & EDITER:Prof M
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SOUND STICKER:Prof M
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| S0-E5:大林宣彦監督「海辺の映画館 キネマの玉手箱」〜映画への偏愛、戦争への妄念は、次の世代にバトンを渡せるか?〜 | 22 Nov 2022 | 01:47:11 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。
今回は私、教授のターン。
これまでのトークの中で表出してきた「戦争」もしくは「作家主義」というワードに引きずられる形で、敬愛する大林宣彦監督の遺作であり最新作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」についてのお話。
上映時間3時間弱。ほぼ戦争と、それに纏わる日本の忌まわしく繰り返される戦争の歴史、そして、その戦争とともに生み出されたテクノロジーとしての「映画」への言及。
それを、一人の映画監督のイマジネーションによって、時代や歴史に抗ってみせる意欲作。
勝手に、満場一致の大喝采、絶賛回になると思いきや、当然ながら映画と人の数だけ価値観も感じ方も違う、そんな当たり前のことに気付かされるエピソードになっています。
現代人としての良識や素朴な視点をぶつけるちょりさんの極めて現実的な視点と、私、教授と、映画学校で映画を学ぶ村上君との視点がぶつかり合うことは、まさに「生活と芸術」という安易な二項対立かもしれないし、あるいは本質は同じことのループかもしれないと思うほど、今回は迷走がちに同じ話をしています(笑)。
とはいえ、その混乱と迷走も、本作の作風とシンクロしながらお楽しみください…と雑にまとめてはいけないので、懺悔しますと、この作品を取り上げるにはまだまだ我々には早すぎました!(笑)というエピソードになっています。
(教授)
CAST/教授、村上、ちょり
STAFF/
DIRECTOR & EDITER:Prof M
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ILLUSTRATION:CHORI
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| S0-E0:【期間限定配信】ジョセフ・コシンスキー監督「トップガン:マーヴェリック」〜映画の雑談・お試し回〜 | 30 Sep 2022 | 00:27:47 | |
ここまで、試行錯誤の4エピソードを配信。プラス雑談回を1エピソード配信。ということで5回ほど配信してきた当番組。
次回収録までスケジュール調整中の為、今回は#000と題して、我々が初めて収録した雑談エピソードとして、ジョセフ・コシンスキー監督の…というよりも、世界的な「スター」俳優であり、映画プロデューサーであるトム・クルーズの主演作「トップガン:マーヴェリック」についてのお話です。
当番組は、いわゆる「旧作」についてメインでトークするという趣旨の為、リアルタイムで劇場公開されている作品については、本来セレクトから外れてしまう作品ながら、番組作りのきっかけになった「映画の晩年」について極めて意識的な「大ヒット作」であるということで、収録しました。
トーク中にも触れていますが、本作が「特殊な作品」として、恐ろしいまでの「感想が統一」されている作品であるということ。
それは「単純明快」なストーリーラインや、アメリカ映画特有の「ご都合主義の魅力」によって、作品の「解釈」が分かれないという点。
むしろ、情報過多で入り組んだストーリーラインが好まれる「ハイ・コンテクスト」な作品が頻発している現代のエンタメ映画の状況に対して「異色な作品」であります。その為、我々も「普通のこと」しか言えない…というジレンマの元、いつも以上にワイワイ話しております。
そして、この日はロマン・ポランスキー監督の(現時点で)の最新作「オフィサー・アンド・スパイ」についても興味深いトークを行っていたのですが、諸事情により「お蔵入り」になってしまったので、後日、再収録の予定です。
また、エピソード「#001」や「#002」の収録前に行われた為、告知やトーク内容に整合性のないものも多々ありますので、ご了承くださいませ。
CAST/教授、村上、ちょり
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| S0-E?「映画の雑談」〜ジャン=リュック・ゴダール追悼企画会議〜 | 26 Sep 2022 | 00:18:42 | |
2022年9月13日。フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが死去しました。
当番組は、サブタイトルにある「映画の晩年」に象徴されるように、これから「映画はどうなっていくのか?」という悲観から、どうやら「映画が映画であった」という表現の「型」のようなものは、これからの時代、様々な事情で淘汰されていくことに対しての「映画」の検証、あるいは「観直し」を目指して制作されました。
その中で、名作、傑作とされていても、意外に観ていないような作品、あるいは駄作と呼称されるような作品を取り上げて、言葉を与えて作品を捉えていこうという趣旨で毎回拙い語りを繰り広げています。
そんな中、非常に気になっていた存在が、まさにゴダールでした。
映画をアートとして引き上げた「巨匠」という冠がつくような巨大な「アイコン」として存在しているゴダール。
非常に神格化された存在故に「難解」という評価になり、やがてが「とっつきにくい」存在として、近年あまり観られていないという印象で、そのうち取り上げねば、と思っていた「作家」でもあります。
とはいえ、膨大なフィルモグラフィーと、長いキャリア。
そしてゴダールという「映画史」を語る上で外せない存在ながら、この日本では気軽に「全作品」を鑑賞できる機会もない…という状況の中、何から話せば良いか…という企画会議という名の雑談を収録しました。
いつもは「本題」ばかりを生真面目に語るようなスタイルですが(まぁ結果的にはいつもと変わらないトークになってしまいました…)、今回は番外編として、雑談をお楽しみください。(教授)
CAST/教授、村上、ちょり
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| S0-E4:佐藤肇監督「吸血鬼ゴケミドロ」〜“カルト映画”としての本性。もしくはポピュリズムによって醸成される付加価値について〜 | 22 Sep 2022 | 01:35:09 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。
前回の「マタンゴ」回から導き出された「意外にも(?)」傑作だったという結論に反して、本作「吸血鬼ゴケミドロ」はトーク本編でも言及している通り、手放しで「傑作」と評価することが難しい作品。
この忌憚なく、辛辣な批判に関しても、聴きどころではありますが、一方で「カルト映画」として、現在も概ね「愛されている作品」という側面もあります。
このアンビバレントな魅力こそ、本作が「カルト映画」として愛される由縁でもあり、その偏愛が、例えばクェンティン・タランティーノ監督「キル・ビル Vol.1」での引用にも繋がっている点でもある。
…しかし、一方で本作の持つ「トンチキさ」「ツッコミどころ」がネタとして消費され、作品論としてのテキストが乏しい作品でもあるということを、村上君は義憤として指摘しています。
あらゆる映画を愛することも、楽しむことも重要でありつつ、それが一方向に話が進んでいくよりも「酷評」を通じて見えてくるものも提示したい。加えて「面白がることで生まれる再発見」と「面白がられることで蔑まれる」という両側面について語っているテキストです。(教授)
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| S0-E3:本多猪四郎監督「マタンゴ」〜本多猪四郎の戦争寓話。職業監督による「作家の映画」〜 | 20 Sep 2022 | 01:33:03 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。
第三回目は、村上のセレクションで、本多猪四郎監督の「マタンゴ」(1963年)を取り上げます。
村上君らしいセレクトというか、本編中でも語っていますが、作品のタイトルぐらいはニッチに知られていても、実際に「観た」という意見は中々聞くことがない本作。だからこそ「取り上げるべき」作品として語りがいのある内容となりました。
特に21世紀初頭に生まれた、村上君、ちょりさんと、20世紀の終わりに生まれた私、教授との間で作品の印象がどう異なるのか?あるいはどういうところが一致するのか?も含めて非常に興味深い作品。
映画史としても重要な「ゴジラ」ではなく、まず先に「マタンゴ」なのかを紐解いていくと「核の脅威」の象徴である「ゴジラ」よりも観念的に、あるいは「概念」としても「戦争」とその時代を映した象徴が「マタンゴ」=キノコ人間であること。
1960年代に製作された映画が、2020年代の現在こそ、より切実なメッセージとなっていることに話は及びます。
製作当時は「一般的な娯楽映画」でしかない形で公開された本作が、実は、深く読み解いていくことで「強大な作家の自己表現」による「芸術映画である」側面が浮かび上がるのも、こうしたポッドキャストで取り上げ、意識化していく楽しみが、今回のエピソードで自然と生まれたような感じもします。
今回のエピソードはそういった、作品理解を経て「トーク」が熱を帯びていく感じも大変聞きどころだと思います。(教授)
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| S0-E2:宮崎駿監督「風立ちぬ」〜狂人・堀越二郎が見た夢と、人間・宮崎駿の到達点〜 | 13 Sep 2022 | 01:59:51 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。
第二回目も、前回同様、ちょりのセレクションで、宮崎駿監督の「風立ちぬ」(2013年)を取り上げます。
前回取り上げた「夢と狂気の王国」を踏まえ、宮崎駿が全開で曝け出した自身の内面について。
宮崎駿は、作品中に自身を意識的に投影することを頑なに避けてきた監督である。とはいえ、自分自身の感じている世界しか描くことができないという強烈な自己矛盾と、葛藤こそが彼の作品の大きな魅力で、何よりダイナミズムであった。
完璧なファンタジーを模索しながら、一方で、肥大した自我を抑え切れることなく「自分語り」をしてしまう作家であった。
しかし、本作では、もはや「忘我」の境地、トーク本編中でも特に村上氏が言及している通り、もはや虚無的とも言えるほどの空虚さを持って、堀越二郎という主人公に、自身の作家論、あるいは創作論、さらに恋愛観などを、淡々とした作劇ながらも雄弁に語り尽くしている。
今回は①主人公・堀越二郎の人物の描き方、②恋人・菜穂子の人物の描き方、③ファンタジーと現実について、というポイントから紐解いて参ります。
CAST/教授、村上、ちょり
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| S0-E1:砂田麻美監督「夢と狂気の王国」〜宮崎駿×高畑勲×鈴木敏夫の、愛憎と利害のロマンス。そしてリベラリストたちのエゴとファシズム〜 | 08 Sep 2022 | 01:38:08 | |
「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。その第一回目は、ちょりのセレクションで、彼女の人生観(あるいは死生観)、イデオロギーなどあらゆる思考の原点であり、現在も強い影響を与え続けている「スタジオ・ジブリ」の内幕を描いた砂田麻美監督の「夢と狂気の王国」(2013年)を取り上げます。作中に満遍なく描写される宮崎駿を中心とした、高畑勲、鈴木敏夫の非常に「恋愛的」な関係性、その中で浮かび上がるそれぞれの強烈すぎる個性。現代の価値観、あるいは視点において「とっても拗らせて面倒臭い」その関係性に翻弄され、宮崎駿に「若いエネルギーを吸い取られ」「目が死んでいる」と指摘されるジブリスタッフたち。そして本作の「主演女優=ヒロイン」である「三吉(さんきち)さんとの「擬似的な愛人関係」など、スタジオ・ジブリの「夢と狂気」が堪能できる。そこから見えてくるのは、まさに「夢」という甘美さ、あるいは「リベラル思想」という理想主義の現実は、どこまでも現実とは地続きの生々しい人間の感情の物語に他ならない。ましてや、スタジオ・ジブリの抱える巨大な才能、そして巨大な産業としての「現実」との乖離が、その「王国」を奇跡的に成立させているという構造は、現代社会の中で「リベラルの矛盾」として問題視され、淘汰されつつある点も、映画という表現の「生き残れなさ」と重なる部分である。トーク本編ではその部分をピックアップし、スタジオ・ジブリの「狂気」に魅せられた3人が思い思いに語ります。 CAST/教授、村上、ちょり STAFF/DIRECTOR & EDITER:Prof MTHUMBNAIL DESIGN:Prof MILLUSTRATION:CHORISOUND STICKER:Prof M 注)トーク本編の音質が芳しくないですが、ご容赦くださいませ。今後改善していきます!ごめんなさい!(教授) | |||