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Explorez tous les épisodes du podcast PLENUS RICE TO BE HERE

Plongez dans la liste complète des épisodes de PLENUS RICE TO BE HERE. Chaque épisode est catalogué accompagné de descriptions détaillées, ce qui facilite la recherche et l'exploration de sujets spécifiques. Suivez tous les épisodes de votre podcast préféré et ne manquez aucun contenu pertinent.

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EP. 345『@帯広、其ノ三 - Let's Dance with Sugar Beets!』18 Dec 202400:08:54

赤紫色の野菜「ビーツ」ご存知ですか?このビーツの一種で、砂糖生産用の品種は甜菜(てんさい)とも呼ばれています。砂糖は主にサトウキビから作られていますが、ヨーロッパなどの寒冷地ではサトウキビは育てられませんでした。ところが19世紀に寒冷地でも育つビーツ、甜菜から砂糖の生産がヨーロッパで始まり、日本にも明治時代に持ち込まれて十勝平野で栽培が開始されます。

EP. 344『@帯広、其ノ二 - シンプルおいしいー黒千石』17 Dec 202400:08:54

「帯広」という地名はアイヌ語の「オペレペレケブ」という言葉に由来します。これは「川がいくつにも分かれている場所」という意味で、水運に適していたこともあって十勝平野の開拓の中心となりました。かつてこの十勝平野の地力を回復させる為に十勝原産の『黒千石』という黒豆が使われていましたが、1970年代以降は化学肥料に取って代わられます。そして使われなくなった黒千石は一旦、絶滅してしまいますが・・・。

EP. 335『@知床、其ノ一 - オホーツクの海原 コンブ・シャケ・マス・ネズミ・ネコそしてモリシゲ』02 Dec 202400:08:55

1960年に公開された森繁久彌さん主演の映画『地の涯に生きるもの』。この映画の撮影の為に森繁さんは知床の羅臼に長い間滞在したそうです。オホーツク海は秋になると海が荒れて漁が出来なくなるため、その昔は9月になると昆布を採る人達が、そしてそのあとはマス専門の漁師達、そしてシャケ専門の漁師達がこの地を離れました。しかし誰かが番屋を守らなくてはならない・・・この映画は長い冬の間、独りで番屋を守る老人を描いたものです。

EP.245「@松本・安曇野 - 其ノ一、字は人なり」17 Jun 202400:08:54

松本といえば真っ先に思い浮かべるのは松本城。松本は戦時中、殆ど空襲を受ける事がなかった為、松本城をはじめ多くの古い建造物が今でも残っています。現在、松本城には「国宝松本城」と書かれた碑文がありますが、これを書いた書家は戦後GHQが教育改革で習字の時間を廃止しようとした際「書は日本文化の真髄也」と主張して習字を守った、ある人物なのです・・・。

EP.244「@中山道・木曽路 - 其ノ四、うるしはやさし!こどもはげんき!」13 Jun 202400:08:54

国道19号線沿いにある楢川という宿場町。ここには校舎が完全に木造の楢川小中学校というとっても素敵な学校があります。この学校の特筆すべき点は、給食で使われているものが全て本物の漆器だという事。この地域は漆器で有名ですが、子供の頃から本物と触れていく事で、本当に良いものの素晴らしさを理解する感性を育みたいという教育理念が伝わってきます。

EP.243「@中山道・木曽路 - 其ノ三、カキノカワ ナスノハ カワノオト」12 Jun 202400:08:55

良井川には木曽の大橋というアーチ型の木製の橋がかかっており、江戸時代、宇治で採れたお茶を江戸城まで運ぶ「お茶壺道中」がこの橋を渡っていました。このお茶壺道中の人々もかつてここで頂いたであろうお蕎麦を徳利屋さんで頂いていたら、この地域独特の漬物が出てきました。糠漬けではあるのですが、独特の香りがいたします。お店の方に伺うと、糠の中に意外なものを入れている事が分かりました・・・。

EP.242「@中山道・木曽路 - 其ノ二、ワサビ、敦厚」11 Jun 202400:08:55

木曽路の奈良井宿は江戸時代の宿場町の姿をほとんどそのまま残しており、インバウンドの観光客にも大人気。そこにある徳利屋さんという宿屋兼お料理屋さんで食事をしました。かつて島崎藤村や正岡子規といった文豪も訪れた事がある大変由緒あるお店。ここで頂いたお蕎麦の薬味のところに小さな白いお花が添えられていましたが、これが大変珍しいものだったのです・・・。

EP.241「@中山道・木曽路 - 其ノ一、わさび、義仲、巴御前」10 Jun 202400:08:56

江戸時代の五街道の一つ、中山道は江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ内陸のルートで、その一部は現在の国道17号線にあたります。全長500キロを超える長い街道の為、今回はその中でも木曽路の宿場町について取り上げます。あまり知られていませんが、ここは将軍にもなった木曽(源)義仲が育った場所でもあります。

EP.240「@浜松 - 其ノ四、SOUVENIRうなぎパイ」06 Jun 202400:08:55

東京から日帰りで行ける距離にあり、浜名湖は鰻や牡蠣、スッポンなどといったグルメ食材が豊富、更に温泉まである浜松は観光資源が非常に豊富な場所ですが、観光に欠かせないものと云えば、やはり気の利いたお土産。浜松みやげとして全国的に知られているのはやはり「夜のお菓子」というキャッチコピーで有名な「うなぎパイ」ですね・・・。

EP.239「@浜松 - 其ノ三、オレンジがおいしいーのはなぜ」05 Jun 202400:08:55

日本で最も日照時間が長い場所の一つと言われている浜松。更に富士山の火山灰のせいか水捌けの良い土地であることもあり、みかんやオレンジを栽培するのに非常に適した場所でもあります。中でも三日日というところにある赤砂利という地区で作られているネーブル・オレンジは文字通り絶品です。

EP.238「@浜松 - 其ノ二、凧を揚げてもちガツオー」04 Jun 202400:08:54

砂丘と言うと多くの方が鳥取を思い浮かべるかと思いますが、実は浜松にも幅4キロに及ぶ立派な中田島砂丘があるのです。何も遮るものがない広い空、そして強い風が吹いている事から、この砂丘では毎年ゴールデンウィークに凧揚げまつりが行われています。モチモチした食感の地元の名物「もちがつお」に舌鼓を打ちながら、凧揚げ合戦を観戦するのも粋なものですね。

EP.237「@浜松 - 其ノ一、ウナギ背開き腹開き」03 Jun 202400:08:54

静岡県最大の都市、浜松と言えば浜名湖、そして浜名湖といえば「鰻」。上方では鰻は腹開きであるのに対し、江戸は背開き。浜松は「腹開き」「背開き」両方の鰻を楽しめる全国でも珍しい場所の一つです。江戸っ子は腹開きを嫌ったために背開きとなったのですが、さて、なぜ江戸っ子は鰻の腹開きを嫌がったのでしょう?

EP.236「@五島 - 其ノ四、信仰と塩の結晶ピラミッド」30 May 202400:08:55

長崎港でルーマニアからやってきた女性が泣きそうな顔をして港の係の方と話をしていました。この女性は五島の「ハリノメンド」というところに行きたいとだが、どうすればいいのかと言っています。そもそも「ハリドメンド」って何?と思い調べてみると、かつてこの辺りに多くいた、隠れキリシタンの人たちにとって信仰の上でとても大切なある場所である事が分かってきました・・・・。

EP. 334『@霞ヶ浦、其ノ四 - 美しく明るいブタさんいただきます💗』28 Nov 202400:08:54

霞ヶ浦がある茨城県には美味しい牛肉、そして豚肉があります。日本三大和牛の一つに数えられている「常陸牛」そして豚肉は「ローズポーク」及び「美明豚」というブランド肉。この辺りには新鮮なお野菜も沢山ありますので、色々な組み合わせで美味しく頂けますね!ところで皆様「霞ヶ浦」の名前の由来ってご存知でしたか?

EP.235「@五島 - 其ノ三、ミジョカー池田レンタカー」29 May 202400:08:55

五島の福江港にある「池田レンタカー」にいる、いつもニコニコしているおばあちゃんは「後藤にはいっぱいミジョカ人おらすよ〜」と仰りました。この「みじょか」という言葉は「可愛い」「綺麗」という意味で使われますが、実は平安時代から室町時代にかけて、この表現は普通に使われていました。つまり一般的には死語となってしまった単語がこの五島ではまだ使われているという事になります・・・。

EP.234「@五島 - 其ノ二、手仕事いっぱい五島」28 May 202400:08:55

長崎県五島市富江町には築140年の古民家をとってもおしゃれに改装したカフェ、ショップ、そして宿泊施設であるte to ba &#60手と場&#62というところがあります。このお店にあるグッズのラインナップからも、この五島という土地ではいまだに多くの職人さんが素晴らしい手作りの品を作り続けている事が分かります。

EP.233「@五島 - 其ノ一、アラカブ くうかい?」27 May 202400:08:54

長崎県五島の福江島の岬「三井楽」。東シナ海に面したここは文字通り絶海と呼ぶにふさわしい場所です。この岬の先端は遣唐使として空海が日本を離れた場所であり、記念碑が建っています。ここではアラカブという魚がよく釣れるようですが、この「アラカブ」は関東などでは「カサゴ」と呼ばれております。

EP.232「@長崎 - 其ノ四、ワ・カ・ラ・ン料理」23 May 202400:08:54

長崎の方に「長崎の料理ってどんなのですか?」と尋ねると「ワカラン」と答えが返ってくるかもしれません。しかし、これは「分からない」という意味ではなく「和=日本」「華=中国」「蘭=オランダ・西洋」のハイブリッドな料理ですよ、という意味なのです。そんな「和華蘭料理」の代表的なものをいくつかご紹介します。

EP.231「@長崎 - 其ノ三、シュワーッとサイダー明治の味」22 May 202400:08:55

幕末、江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国それぞれと結んだ、いわゆる「安政5カ国条約」で、下田,箱館,新潟,兵庫(神戸)、そして長崎の5港を開港する事になりました。さて、ここで問題です。開港した5港の中で「サイダー発祥の地」とは、どこでしょう?

EP.230「@長崎 - 其ノ二、ちゃんぽん おいしー♡」21 May 202400:08:55

テレビドラマ「裸の大将」でお馴染みの放浪の天才画家、山下清。実は私、子供の頃、山下清が九州にやってきた際、母の背中におんぶされてお会いした事があるのです。そんな山下清は長崎を訪れた際、四海楼という中華料理店で食事をして、その事を日記にも書いています。そしてこの四海楼は一説によると、長崎名物「ちゃんぽん」を最初に出したお店でもあったとか・・・。

EP.229「@長崎 - 其ノ一、日本初の西洋料理店 自由亭」20 May 202400:08:55

東京から朝7時くらいの飛行機に乗れば長崎には10時には着きますし、夜遅くまでフライトもあるので、日帰りだって可能です。そしてそんな長崎こそ、草野丈吉という人が日本で最初の西洋料理店を開いた街。このお店は明治11年、1879年に「自由亭」と名を変え、現在でもグラバー園に移築されて営業しています。

EP.228「@佐賀 - 其ノ四、山の幸川の幸コイの幸」16 May 202400:08:54

「鯉料理」というと、召し上がった事のない方でさえ「泥臭い」と言われますね。しかし是非一度、佐賀県有田町にあります100年以上の歴史を持つ川魚料理のお店で「鯉」を召し上がってみて下さい。有田川上流の綺麗な水で時間をかけて泥を抜き、調理された鯉。特にその皮の部分は絶品で、自家製の酢味噌で頂くと言われなければ鯉とは分からない程です。また、この辺りには川のカニを使ったユニークな郷土料理もあります。

EP.227「@佐賀 - 其ノ三、深川ポースレンでおいしいお料理」15 May 202400:08:55

美味しいお料理に欠かせないのは綺麗な器。佐賀県には有田焼や伊万里焼など有名な陶磁器が幾つもありますが「深川ポースレン」もその一つ。1900年に開催されたパリ万国博覧会に出品されて世界的な評価を受け、その後、宮内庁御用達として宮中でもこの深川ポースレンは使われていましたが、この事実は最近まで知られていませんでした。さて、その理由とは・・・。

EP.226「@佐賀 - 其ノ二、ワラスボ・ムツゴローがんばれー★」14 May 202400:08:55

戦後に米の増産と目的として計画された一万ヘクタールの農地拡大の為、1997年に諫早湾に鉄板が落とされて、有明海と遮断されてしまいました。これが原因と思われる生態系の変化により、数種類の貝が絶滅、地元の漁業は大打撃を受けた為、漁業従事者は堤防を開けるよう運動を起こしています。このように影響を受けている生き物の中には干潟に生息するワラスボやムツゴローもいるのです・・・。

EP. 333『@霞ヶ浦、其ノ三 - こうもりの様なイチゴさん』27 Nov 202400:08:54

霞ヶ浦ではハウス栽培でイチゴが沢山作られています。イチゴの実には甘い部分と酸っぱい部分があるのをご存知でしたか?酸っぱい部分は食されるのも良いですが、ソースにすると白身魚やパスタととっても相性が良いんです。そんなイチゴ、実は厳密に言うと果物であり、野菜でもあるそうです・・・・。

EP.225「@佐賀 - 其ノ一、塩田でシオ焼きイワシ」13 May 202400:08:54

百人一首にも和歌がある平安時代の歌人、和泉式部は佐賀県嬉野市塩田町というところの出身である、とする説があります。諸説ある為、はっきりした事は言えないようですが、昔より交通の要衝であった塩田という土地が和泉式部の生誕地であった可能性は低くはないのではないでしょうか。そんな和泉式部が大好物だった食べ物、ご存知ですか?

EP.224「@Époque 奈良時代 - 其ノ三、奈良の役人ヘビーサマー」09 May 202400:08:54

奈良時代の役人達、つまり現代の上級国家公務員、キャリアに当たる人達の勤務時間は夏は長く、冬は短い、という自然のリズムに基づいたものでした。そして彼らの食事もまた非常に興味深いものですが、中には現代の普通のご家庭でも簡単に再現できるような品もあります・・・。

EP.223「@Époque 奈良時代 - 其ノ二、山盛りてんこ盛り召し上がれ」08 May 202400:08:54

奈良時代に日本を統治していた聖武天皇。聖武天皇の食事に関する記録はちゃんと残っていて、かなり細かいところまで知られています。当時は最高の贅沢品だった白いお米をてんこ盛りにして、それをお上品に少しずつ食されていたそうですが、その他にも驚きのおかずが何品もあります・・・。

EP.222「@Époque 奈良時代 - 其ノ一、さきもりナマコ」07 May 202400:08:55

よく「誰が一番最初にナマコを食べたのだろう?」と言いますが、奈良時代、北は東北から南は九州まで日本を守っていた「防人(さきもり)」という人たちは、とにかくナマコが大好き!争ってナマコを食べていたとか・・・しかし、それは何故だと思いますか?

EP.221「@若狭・小浜 - 其ノ三、アニ・サキスサキス」02 May 202400:08:54

若狭湾は日本海側では非常に珍しいリアス式海岸となっております。リアス式海岸の場所は海の幸が美味しいと言われていますが、そんな小浜の名物が「よっぱらいサバ」。サバには「アニサキス」という寄生虫がいる為、生食するとお腹が痛くなったりしますが、この「よっぱらいサバ」はお刺身でも食べられます。しかし、なぜ「よっぱらいサバ」と名付けられたのでしょう?

EP.220「@若狭・小浜 - 其ノ二、あのーあのにいってきましたー」01 May 202400:08:53

小浜市の阿納という場所は漁師町ですが、夏は海水浴に訪れる人も多く、漁師さんの多くが民宿も経営しています。コロナ禍で安納の大きな民宿が廃業してしまいましたが、元農林水産省に務めており、小浜を気に入って移住した、とある人物が地元の人々と力を合わせてその民宿を復活させました・・・。

EP.219「@若狭・小浜 - 其ノ一、なんとふくざつ なんとしんえん」30 Apr 202400:08:55

若狭、そして福井県というところは地理的に大変複雑な場所。県内を二つの文化圏に分けることができます。福井市などのある嶺北地域は文化や言葉が北陸からの影響が強いのに対し、若狭や小浜、そして敦賀がある嶺南地域は関西からの影響が強いのです。その為か、若狭などは明治維新以降暫くは滋賀県でした・・・。

EP.218「@敦賀 - 其ノ四、風の街で春をいただきます!」25 Apr 202400:08:53

「美味しさを追求したあとの美味しさ」余計なものを削ぎ落として、心を春で満たしてくれる、そんなお料理と出会いました。敦賀の住宅街にある創業118年の「かどの」さんという料亭です。数寄屋造りの素敵な構えで飾ってある品々も素晴らしく、それを一眼見るためだけにお店に行っても良いくらい。しかし、なんと言っても一番素晴らしいのは勿論、そのお食事であることは言うまでもありません・・・。

EP.217「@敦賀 - 其ノ三、コンブワサビ ポリポリしながら 越の細道」24 Apr 202400:08:54

福井県の敦賀市は1689年3月に江戸・深川から旅に出た松尾芭蕉が、同年8月に杖を置いた、すなわち「奥の細道」の終着の地でもあります。この地で芭蕉は「月清し・遊行の持てる・砂の上」という俳句を詠んでいますが、これは「奥の細道」の最後の句でもあります。

EP.216「@敦賀 - 其ノ二、削ります!シューシューシュー」23 Apr 202400:08:53

北陸新幹線が開通したことでアクセスが良くなり、観光客が増加している敦賀。敦賀といえば「おぼろ昆布」「トロロ昆布」でも知られています。その中でも最上級と言われている「竹紙昆布」は50年の技を持つ職人さんでしか削り出せないとか。その技術を持つ人は現在、敦賀に2名しかいないそうです・・・。

EP. 332『@霞ヶ浦、其ノ二 - 未来、覗いてみませんか?』26 Nov 202400:08:55

レンコンの歯応え、良いですよね。関東でこのレンコンの出荷量が最も多いのが霞ヶ浦と言われています。しかしレンコンの栽培が霞ヶ浦で始まったのは意外にも最近で1970年代。真冬の寒い日でも若者が霞ヶ浦の中に入ってレンコンを取っています。そんなレンコンの穴からはとっても不思議な光景が見えるのをご存知でしたか?

EP.215「@敦賀 - 其ノ一、ビューン敦賀までまっしぐら!」22 Apr 202400:08:53

ついに北陸新幹線が敦賀まで延伸されました。しかし、今から112年も前の明治45年には既に新橋から敦賀港までの直通列車の運行が開始されているのです。当時のルートは現在の北陸新幹線とは異なり、滋賀県の米原経由でした。実はこの頃、東京より敦賀までの列車を開通させるのは、国運を問う重大な事業だったのです・・・。

EP.214「@板橋 - 其ノ四、加賀から氷とどきます」18 Apr 202400:08:54

板橋区には「加賀」という町名がありますが、これはその名の通り、江戸時代に加賀藩の下屋敷があった場所。そして加賀藩が敢えてこの板橋というロケーションに下屋敷を建てたのには、実は大きな理由があったのです・・・。

EP.213「@板橋 - 其ノ三、田遊び板橋」17 Apr 202400:08:54

板橋では関東圏では唯一、田楽系の芸能で重要無形民俗文化財に指定されている「板橋の田遊び」という民俗行事が行われています。丁度旧暦のお正月にあたる時期に行われるこのお祭りは、その年の五穀豊穣を願うものですが、それはかつて水田が沢山あった頃の板橋の名残と言えるでしょう。

EP.212「@板橋 - 其ノ二、復活・板橋宿の夏大根!」16 Apr 202400:08:54

東京の大根といえば「練馬大根」が有名ですが、実は板橋にもかつて「志村夏大根 /

清水夏大根」と呼ばれる名物の大根がありました。しかし病気に弱かったりしたこともあって、ある頃より全く栽培されなくなり、人々から忘れ去られていました。ところが、2010年代に入って、その存在を知った板橋で畑を営む人々は、なんとか現代に蘇らせようと立ち上がります・・・。

EP.211「@板橋 - 其ノ一、富士講みんなせんべいたべよーぜー」15 Apr 202400:08:54

江戸時代、板橋は「板橋宿」と呼ばれる宿場町で、日本橋から中山道を旅する人達が最初に泊まる宿坊街でした。また、この板橋宿の宿泊客の中には、富士山に登れば生まれ変わる事が出来ると信じて、ここから富士山に登る、所謂「富士講」を行う人々もいたのです・・・。

EP.210「@石垣島 - 其ノ四、パイナップルいっパイ」11 Apr 202400:08:53

石垣島にはパイナップルがたわわに実っておりますが、石垣島に台湾からパイナップルがやってきたのは1930年と言われています。中華料理では酢豚など、炒め物にもyそくざいとして使われているパイナップル。肉料理にパイナップルというと嫌がる方もいらっしゃいますが、パイナップルは肉を美味しくする秘密の効果があるのです・・・。

EP.209「@石垣島 - 其ノ三、ミンサーとヤドカリ・アーマン」10 Apr 202400:08:53

八重山にはミンサー織りと言うものがあります・ミンサーのミンは「綿」を指し、サーは「幅の狭いもの」ということから「帯」を指すものと言われています。このミンサーには5つの四角の模様と4つの四角の模様が交互に織られています。そしてこの模様には秘められた深い意味が込められているのです・・・。

EP.208「@石垣島 - 其ノ二、カブリー!」09 Apr 202400:08:52

日本の神話ではイザナギとイザナミが国を創ったと言い伝えられていますが、八重山列島では、なんとヤドカリが石垣島など八重山の島々を創ったと言う事になっております。ヤドカリは石垣島では「アーマン」と呼ばれていますが、このアーマンが「カブリー!」と叫んで土の穴から飛び出してきたとか・・・。

EP.207「@石垣島 - 其ノ一、石垣島でデトックス」08 Apr 202400:08:52

羽田空港から石垣島までは直行便でわずか3時間強。緯度からすれば台北やハワイ、メキシコ・シティーとほぼ同じくらいといいますから、まさに南国ですね!そんな石垣島グルメといえば石垣牛が有名ですが、それ以外に美崎牛と言う牛肉があります。この美崎牛は生育期間に合わせて独自配合の餌を3種類も与えられるそうで、その脂は人間の体温と同じ36℃くらいで溶けてしまいます。そうなると、お口に入れた際には・・・。

EP.206「@京都 - 其ノ四、打出の小槌・トントントン」04 Apr 202400:08:53

一寸法師が鬼退治をした際に持って帰ってきたとされる打出の小槌。実はこの打出の小槌、元を辿っていくと石器時代の石斧がそのルーツだと言われています。それが時が経つにつれて豊かさや実りの象徴となっていくのです。豊臣秀次のお墓がある瑞泉寺には打出の小槌の瓦があるのですが、さて、その理由とは・・・。

EP. 331『@霞ヶ浦、其ノ一 - 引き船、夕日に霞みます』25 Nov 202400:08:55

東京から常磐道に乗って1時間半くらいのところにある霞ヶ浦には、日本中でここにしかないという特殊な帆曳船があります。横幅の極端に広い白い帆が特徴である霞ヶ浦の帆曳船、江戸時代ごろからあったのかと思いきや、意外にも出現したのは明治時代。ワカサギやシラウオの漁の為に作られ、全盛期の昭和30年代には約900隻もの帆曳船の白い帆が霞ヶ浦を覆っていたそうです・・・。

EP.205「@京都 - 其ノ三、行く河の流れはたえずして」03 Apr 202400:08:54

京都には加茂川が流れており、二条大橋のところにあるザ・リッツ・カールトン京都には水暉という会席、鮨、天麩羅、鉄板焼などが食べられるレストランがあります。この水暉には石川県の伝統工芸である輪島塗りで作られた、11メートルの見事なカウンターがとても美しく映えています・・・。

EP.204「@京都 - 其ノ二、THE三井の門の桃、チョー!」02 Apr 202400:08:54

二条城のすぐそばにある油小路通りに四年前に開業したホテル・ザ・ミツイ・キョウト。ここは江戸時代、三井家の総領家、正確には三井北家の邸宅があったところです。このホテル・ザ・ミツイの門の東西南北四つの隅には大きな桃が瓦となって置かれています・・・。

EP.203「@京都 - 其ノ一、雨の京都に幸福感」01 Apr 202400:08:53

お料理というのは味でリピーターとなるのはほとんどいないそうで、お食事をして「この香り、とっても脳裏に残る・・・」と思った時、もう一度あのお料理屋さんに行きたい、と思うんだそうです。そして春になる直前の京都は独特な香りがいたします・・・。

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